45話 四十五
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「何でございますか、向うの嘉吉さんの所の婆さんが気が狂れて戸外へ飛び出したもんですから、皆で取押えるッて騒いだんですよ。」
とお夏は自若としていって真顔で居る、愛吉は苦笑、また苦笑。
「そうかい、飛んだこッたね、そしてどうなりました。」
「火事だ火事だといって表町の方へ駆出して行きましたっけ、しばらくすると角の交番のお巡査さんが連れて戻りましたよ。」
自分かかり合のことは丸抜にして言い紛らした。お夏は母親の前を繕ったのであるが、しかし事実で。
先刻ちょうど来合せた愛吉が、常に口にするよう、お夏の癇癪を引受けて、町内の人々と言い争い、すわや、掴合の始りそうになった時、あたかも可し、婆を捕えて、かの嬰児を抱いた女房を従えて、嘉吉の宅へ届けるため、角の交番から出張したのか、見ると騒動、コヤコヤと叱り留めて、所得税を納める者まで入交って、腕力沙汰は、おい、何事じゃい。
双方聞合せて、仔細が分ると、仕手方の先見明なり、杖の差配さえ取上げそうもないことを、いかんぞ洋刀が頷くべき。
各々自分勝手な迷信から、他人の持物を侵そうとする、それも方角が悪いといって、掃溜の置場所を変えよとでも謂うことか、鶏を殺そうとは沙汰の限り。
なお人一人、それがためにと申立てるが、鶏の宵啼で気が違うほどの者は、犬が吠えると気絶をしよう、理非を論ずる次第でない。火事だ、火事だと駆け廻って、いや火の玉のような奴、かえってその方が物騒じゃ、家内の者注意怠るな、一同の者、きっと叱り置くぞ、早々引取りませい、とお捌きあり。
あっちでもこっちでもぶつぶつがらがら、口小言やら格子の音。靴の響が遠ざかって、この横町は静になったが、嘉吉が家ではなおばたばたするので、うるさいと謂って、お夏が半蔀を愛吉に下さした、その内に蔵人は旧の閨、煙管もそっと、母親の枕許へ、それで事済となったのであるが、寐つきなり殊に病の疲れ、知らぬと思っていた母親に尋ねられて、お夏は落着いても、胸は騒いだのであるけれども、これも案ずるより産むが安かった。
「愛吉、」
「ええ、」
無言で目を合せていて、やがてのこと。
「あの、母様。」
黙って返事がないから、
「寐なすったよ。」
眼を《みは》って呼吸を凝した、愛吉は吻とばかり、
「可い塩梅、確ですか。」とそッという。
「始終すやすやしていらっしゃる、先刻もよく寐ていなすった様だっけ。」
「それであの煙管などを持出して、ほんとうにあれを揮舞すつもりでございましたか。」
「むむ、」とお夏は打頷く。
愛吉驚いた風で、
「途方もねえ。」
「私にだって一人や二人は打てようじゃあないか。」
「飛んでもねえ。」
お夏は澄したもので、
「不可いかしら?」
「不可いたって、可いたって、そんな身体で、あの中へ揉込まれて、串戯じゃアありませんぜ。髪の毛でもつかまったらどうします。」
「まあ、」
「ええ?」
「そうね。」とわけもなく合点する。
愛吉は乗出して、
「呑気じゃあ困りますな。」