5話 五
読み方を変える
「歌の先生、三十一文字の野郎で、それが敵、へい、」とばかりで紋床も変に思い、金之助もその意を得ない様子である。
愛吉は熱心面に顕れ、
「先生、貴客知っていらっしゃりやしませんか、その三十一文字の野郎てえのを、」
「何というね、そしてどこの、」
「居る処は根岸なんで、」
「根岸か、」
「へい、根岸の加茂川亘ッてんです。」
「加茂川亘。」と金之助は口の裡でその名を言った。
紋床は背後へ廻って、
「神主様みてえだな。」
金之助は更めて打頷き、
「有名な先生だ、歌の、そうそう。書も能くお書きになるぜ。」
「知ッてますよ、手習師匠兼業の奴なんで、媽々が西洋の音楽とやらを教えて、その婆がまた、小笠原礼法躾方、活花、茶の湯を商う、何でもごたごた娘子の好な者を商法にするッていいます。」
「ははあ何でも屋だな、場末の荒物屋にゃあ傘まで商ってら、行届いたものだ。虱でも買いに行って捻ってやれ、癖にならあ、どうせ碌な者は売るんじゃあねえ。」と紋床は話が実で、ものになりそうな卵だと見て取ると、面白しで大に煽る。
金之助は驚いて、
「馬鹿なことを言え、罰の当った、根岸の加茂川と来た日にゃあ、歌の先生でも皆が御前々々と言う位なもんだ。宴会のあった時、出ていた芸妓が加茂川さんちょいとと言ったら、売女風情が御前を捉えて加茂川さん、朋友でも呼ぶように失礼だ、と言って、そのまま座敷を構われた位な勢よ。高位高官の貴夫人令嬢方、解らなけりゃ、上ツ方の奥様姫様方、大勢お弟子があるッさ、場末の荒物屋と一所にされて耐るもんか、途方もない。」
「何でも、馬車だの腕車だのが門に込合ってるッて謂いますね。」
「そうだろうとも。」
「何だか知らねえが癪に障るッたらないんです。」
と愛吉はさも口惜しそうである。
「おい、その方が敵かい。」
「お前また妙な敵を持ったもんだな、金と女なら私だって殺してえほど怨があらあ、先の中洲の清元の師匠の口だと、私も片棒担ぐんだが、困ったな歌の先生じゃあ。お前どうした、狙ったか、」
「二晩ばかりつけました、上野の山ね、鶯谷ね、杖でも持ちゃあがって散歩とでも出掛けてみろ、手前活しちゃあ帰さねえつもりで、あすこいらを張りましたけれど、出ませんや。弱っちまいました、親方の前だけれども。髪結床の下職なんぞするもんじゃアありませんね、せめて字でも読めりゃ何とか言って近づくんですが、一の字は引張って、十文字は組違え、打交えは鷹の羽だと、呑込んでいるんじゃあ為方がありません、私あもう詰らねえ。」と力なさそうに投首をする。
「ああ、お互に不便なもんだ。」
「親方本当でございますね、酒の値は上りまさ、食る物は麺麭の附焼、鰻の天窓さ、串戯口でも利こうてえ奴あ子守児かお三どんだ、愛ちゃんなんてふざけやあがって、よかよかの飴屋が尻と間違えてやあがる、へ、お忝。」といって、愛吉はフンと棄鉢の鼻息。
「あいや、敵討のお武家、ちとお話が反れましたようですが、加茂川が何か君に恥辱でも与えたというのかい、」
「そうです、恥を掻かしやがったんで、対手は女ですよ。」
「何、女に恥辱を、待て、質の好くない奴だ。」
ちょうど洗いましょうという処、金之助は膝を叩き、四辺を払って、ついと立った。
「や、先生も味方らしい、こいつあ、難有えぞ難有えぞ。」