7話 七
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「さあ、こちらへ、私が加茂川で。はあ、」と仰向いて挨拶をする。これはあえて人を軽蔑するのでもなく、また自ら尊大にするのでもない。加茂川は鬼神の心をも和ぐるという歌人であるのみならず、その気立が優しく、その容貌も優しいので、鼻下、頤に髯は貯えているが、それさえ人柄に依って威厳的に可恐しゅうはなく、かえって百人一首中なる大宮人の生したそれのように、見る者をして古代優美の感を起さしむる、ただしちと四角な顔で、唇は厚く、鼻は扁い、とばかりでは甚だ野卑に、且つ下俗に聞えるけれども、静に聞召せ、色が白い。
これで七難を隠すというのに、嬰児も懐くべき目附と眉の形の物和かさ。人は皆鴨川(一に加茂川に造る、)君の詞藻は、その眉宇の間に溢れると謂うのである。
かかる優美な人物が、客に達するに(はあ、)の調子で仰向くとなっては、いささか性格において矛盾するようであるが、これをいう前に、その和のある優しい一双の慈眼を(はあ、)と同時に糸のように細うしてあたかも眠るがごとくに装うことを断っておかねばならぬ。
その上にいかなればしかするかの理由を説明したら、ますます鴨川の奥床しい用意のほどが知れるであろう。
紋床でも噂があった、なおこの横町を馬車新道と称えるのでも解る、弟子の数が極めて多い。殊に華族豪商、いずれも上流の人達で、歌と云えば自然十が九ツまで女流である。
それのみならず、令夫人が音楽を教えて、後室が茶の湯生花の指南をするのであるから。
若き時はこれを戒むる色にありで、師弟の間でもこの道はまた格別。花のごとく、玉のごとき顔に対して、初恋、忍恋、互思恋などという、安からぬ席題を課すような場合に、どんな手爾遠波の間違が出来ぬとも限らぬ。人木石にあらず己も男だ、と何も下司にタンカを切ったわけではない。歌人が自分で深く慮り、すべて婦人の弟子に対する節は、いつもその紅、白粉、簪、細い手、雪なす頸、帯、八口を溢れる紅、褄、帯揚の工合などに、うっかりとも目の留まらぬよう、仰向いて眼を塞ぐのが、因習の久しき、終に性質となったのである。もっとも有数の秀才で、およそ年紀二十ばかりの時から弟子を取立てた。十年一日のごとく、敬すべき尊むべき感謝すべき心懸けであるから、音楽に長けたる鴨川夫人が、かつて弟子の中の一人であったことをもって、毫も先生の品行を怪んではならぬ。
世には夫人が、おもて向き結婚してから八月目というのに、女児を流産したといって、云々する者もあるけれども、経典に言わずや、鶴は相見てすなわち孕む、それ歌人はこの濁世に処して、あたかも鳶烏の中における鶴のごときものであるから、結婚の以前、既に疾く児を宿さぬという数はあるまい、従って八月で流産しないとも限らぬのである。夫人は名を才子という、細川氏、父君は以前南方に知事たりしもの、当時さる会社の副頭取を勤めておらるる。この名望家の令嬢で、この先生の令閨で、その上音楽の名手と謂えば風采のほども推量られる、次の室の葭戸の彼方に薔薇の薫ほのかにして、時めく気勢はそれであろう。
五ツ紋の青年は、先刻門内から左に見えた、縁側づきの六畳に畏って、件の葭戸を見返るなどの不作法はせず、恭しく手を支いて、
「はじめましてお目に懸ります。」