三枚続

7話

1,339字 約3分 2012年4月8日 公開

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「さあ、こちらへ、私が加茂川で。はあ、」と仰向(あおむ)いて挨拶をする。これはあえて人を軽蔑するのでもなく、また自ら尊大にするのでもない。加茂川は鬼神(おにがみ)の心をも(やわら)ぐるという歌人(うたびと)であるのみならず、その気立が優しく、その容貌も優しいので、鼻下、(あぎと)(ひげ)(たくわ)えているが、それさえ人柄に依って威厳的に可恐(こわら)しゅうはなく、かえって百人一首中なる大宮人の(はや)したそれのように、見る者をして古代優美の感を起さしむる、ただしちと四角な顔で、唇は厚く、鼻は(ひらた)い、とばかりでは甚だ野卑に、且つ下俗に聞えるけれども、(しずか)聞召(きこしめ)せ、色が白い。

 これで七難を隠すというのに、嬰児(あかご)(なつ)くべき目附と眉の形の物(やわら)かさ。人は皆鴨川(かもがわ)(一に加茂川に造る、)君の詞藻は、その眉宇(びう)の間に(あふ)れると()うのである。

 かかる優美な人物が、客に達するに(はあ、)の調子で仰向くとなっては、いささか性格において矛盾するようであるが、これをいう前に、その(やわらぎ)のある優しい一双の慈眼を(はあ、)と同時に糸のように細うしてあたかも眠るがごとくに装うことを断っておかねばならぬ。

 その上にいかなればしかするかの理由を説明したら、ますます鴨川の奥床しい用意のほどが知れるであろう。

 紋床でも噂があった、なおこの横町を馬車新道と(とな)えるのでも解る、弟子の数が極めて多い。殊に華族豪商、いずれも上流の人達で、歌と云えば自然十が九ツまで女流である。

 それのみならず、令夫人が音楽を教えて、後室が茶の湯生花の指南をするのであるから。

 若き時はこれを(いまし)むる色にありで、師弟の間でもこの道はまた格別。花のごとく、玉のごとき(かんばせ)に対して、初恋、忍恋(しのぶこい)互思恋(たがいにおもうこい)などという、安からぬ席題を課すような場合に、どんな手爾遠波(てにをは)の間違が出来ぬとも限らぬ。人木石にあらず(おれ)も男だ、と何も下司(げす)にタンカを切ったわけではない。歌人(うたびと)が自分で深く(おもんぱか)り、すべて婦人の弟子に対する節は、いつもその(べに)白粉(おしろい)(かんざし)、細い手、雪なす(うなじ)、帯、八口(やつくち)(あふ)れる(くれない)(つま)帯揚(おびあげ)工合(ぐあい)などに、うっかりとも目の留まらぬよう、仰向いて(まなこ)を塞ぐのが、因習の久しき、(つい)に性質となったのである。もっとも有数の秀才で、およそ年紀(とし)二十(はたち)ばかりの時から弟子を取立てた。十年一日のごとく、敬すべき尊むべき感謝すべき心懸けであるから、音楽に()けたる鴨川夫人が、かつて弟子の(うち)の一(にん)であったことをもって、(ごう)も先生の品行を(あやし)んではならぬ。

 世には夫人が、おもて向き結婚してから八月目というのに、女児を流産したといって、云々する者もあるけれども、経典に言わずや、鶴は相見てすなわち(はら)む、それ歌人(うたびと)はこの濁世に処して、あたかも(とび)烏の中における鶴のごときものであるから、結婚の以前、既に(はや)()を宿さぬという(すう)はあるまい、従って八月で流産しないとも限らぬのである。夫人は名を才子という、細川氏、父君(ちちぎみ)は以前南方に知事たりしもの、当時さる会社の副頭取を勤めておらるる。この名望家の令嬢で、この先生の令閨(れいけい)で、その上音楽の名手と謂えば風采のほども推量(おしはか)られる、次の(へや)葭戸(よしど)彼方(かなた)薔薇(ばら)(かおり)ほのかにして、時めく気勢(けはい)はそれであろう。

 五ツ紋の青年(わかもの)は、先刻(さっき)門内から左に見えた、縁側づきの六畳に(かしこま)って、(くだん)の葭戸を見返るなどの不作法はせず、(うやうや)しく手を()いて、

「はじめましてお目に(かか)ります。」

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