秋の岐蘇路

6話 六

1,239字 約2分 2020年11月21日 公開

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 あくる朝、友の強ゐて留(とゞ)むるをさま/″\に言ひ解きて程(てい)に上(のぼ)る。旅の衣を着け、草鞋(わらぢ)を穿(うが)ち、藺席(ござ)を被(かうぶ)ればまた依然として昨日(きのふ)の乞食書生なり。友と若き主人とは少し送らばやとて後(あと)より追ひ來りぬ。美しく晴れたる日にて、路傍の草の露の繁き、思はず人をして秋の氣の胸に沁(しん)するごとくなるを覺えしむ。一二町にして友に別離(わかれ)を告げんことを望む。友諾(だく)せず。猶來ること數町、われより強ゆる更に數次なるに及び、さらばとて立留りしは、町を既に遠く離れて、路の少しく右に曲りたる、一株の松樹(まつ)の面白く立てる處なりき。

 友は微笑(ほゝゑ)みてわが旅の姿を見送れり。われは胸に限りなき旅の淋しさを覺えたれど、しかもそを強ゐて押へつゝ一歩々々次第に其處(そこ)を遠ざかり行きぬ。一町にして顧るに、友猶ほ其處に立てり。否、わが方(かた)を指點して頻(しき)りに何事をか語合へるものゝ如し。猶行くこと一町、顧るに友の姿は早既にあらず。

 これより宮(みや)の越(こし)驛に至る、坦々(たん/\)砥(と)の如き大路(たいろ)にして、木曾川は遠く開けたる左方の山の東麓を流れ、またその髣髴を得べからず。宮の越驛は木曾義仲の古蹟多きを以て世に聞えたるの地、その本城たりし山吹城(やまぶきじやう)の遺址(ゐし)は今猶其の東端にありて、田圃(でんぽ)蕭條の中(うち)仔細にその地形を指點すべく、傍(かたはら)に祀(まつ)れる八幡宮の小祠(せうし)は義仲が初めて元服を加へたるところと傳ふ。

 驛を過れば、山影再び帽廂(ばうさう)に近く、木曾川の流も亦その美しき景を眼前に展開し來(きた)る。一危橋あり、翠嵐(すゐらん)搖曳するの間に架し、刈草(かりくさ)を滿載したる馬の徐(おもむ)ろに其間を過ぎ行く、また趣なしとせず。路は溪(けい)と共に左に折れ又右に折れ、遂に群山重疊(ちやうでう)せる間に沒却し去る。雲あり、輕羅(けいら)のごとし。飄々として高く揚り、日光に照されてさながら金烏(きんう)のごとき光を發し、更に無限の秋風に吹かれて、次第に旗のごとく帶のごとくその山巓を卷かんとす。かくて兩山相仄(あひそく)し、溪聲雷(らい)のごとき間を過ぐること一里餘、路は更に幾屈曲して、遂に萬山の窮(きはま)るところ、蕭々たる數軒の人家の遙かに雲中に歴落(れきらく)たるを認む。

 これ即ち籔原(やごはら)驛なり。

 一時間の後(のち)、われは鳥居峠の絶巓、御嶽(おんたけ)神社遙拜所の華表(とりゐ)の前なる、一帶の草地に藺席(ござ)を敷きて、峠を登り來りし勞を醫しながら、じつと眼下に展げられたる木曾の深谷(しんこく)の景を見やりぬ。

 其景や甚だ大なるにあらず、其眺矚(そのてうしよく)や甚だ廣濶(くわうくわつ)なるにあらず、否、此處(こゝ)よりはその半腹を登り行く白衣(はくい)の行者さへ見ゆと言ふなる御嶽の姿も、今日(けふ)は麓の深谷より簇々(むら/\)と渦上する白雲の爲めに蔽はれて、その髣髴を辨ずる能はざれど、しかもわれはこの絶巓の眺望を限りなき激賞の念を以て見ざることを得ざりき。見よ、四面の連山のさながら波濤の起伏するがごとく遠く高く連(つらな)れるを。天下何(いづ)れの處にかこのおもしろき一矚(そく)とこの深奧なる無數の山谷とを見ることを得む。また、何れの處にかこの秋のさびしさとこの山の靜けさとを味うことを得む。况んや秋の日の光は美しく四山の白雲に掩映(えんえい)して、空の藍碧(らんぺき)は透徹(すきとほ)るばかりに黒く嶮しき山嶺を包み、中(うち)に無限の秋の姿を藏したるをや。

 われは茫然として時の移るをも知らざりき。

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