13話 一三
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人が繁殖して元の平地が不足すると共に、寧ろ忍んでこの祖靈の移住の跡を追うて行つたのでは無いかと思ふ。大島でも屋喜内灣内などをあるいて見ると、村と村との堺の崖下が、今は通路となつて其側に以前の共同葬地の、將に使用を廢せられんとするものがある例は多い。佐渡の塞の磧なども同じことであるが、海岸の交通は元は殆と皆幾つかの小山を上下して居て、磯端には却つて人の行かぬ區域が多かつた。離れ島では無くとも、斯ういふ海角は孤立して居る。船で往來して之を葬送の場處に供したことは自然であつた。海の勞働者が追々に其近くまで、新しい居宅を開くやうになつて、始めてそこが捷路ともなれば、人の目にかゝる樣にもなつて來たのである。村の片端に家々の墓地を設けることになつたのは、土葬の風よりも、寧ろ斯ういふ天然の葬地が、得られなくなつた結果であらうかと思ふ。私の一泊した阿室といふ古い部落では、民家の後の岡の陰に、幾箇處かの墓地が散在して、それ/″\村内の重立つた家に專屬して居たが、現在の戸數に比べるとまだ不足のやうであつたから、一部分は今でも從前の共同葬地を使用して居たのかも知れぬ。家々の墓地は碑石の形状文字等に依つてさう古くからのもので無いことは察せられたが、其特徴と見るべきは地域を上下の二區に劃したことで、下の段は葬地で、その新しいものには種々の葬器が陳列してあつた(食器、笠、杖、履物などもあつた樣に記憶する。久高の葬地の寫眞と似て居た)。上段の一區畫は即ち私が祭地又は第二次墓地と呼ばんとするもので、石碑は此方にのみ立てゝある。村の人は餘り詳細に説明することを欲しなかつたが、兎に角に大島一般の風習の通り、葬後或期間を過ぎて遺骨を新墓から移し、常に下の段の方を空けて置かうとしたことは確かであつた。
此點は沖繩本島の現在の葬制と、可なり著しき類似であると思つた。單なる外觀から言へば、一方は墓地の全區域を土窖の中に閉鎖し、必要ある時のみ小さな戸を開いて出入するに反して、此方はすべて露出して居るといふ相異はあるが、骨を隣へ遷してそれだけを永久に保存せんとする根本の方式は一致して居る。其上に二段の墓地を此の如く接近させるやうになつた原因も、亦雙方に共通なるものがあつたらしい。即ち在來の共用墓地が不便又不愉快になつた爲に、資力の許す家から追々に分立して、それを各自の墓所に附屬させることにしたものと思はれるのである。自分の見る所では、同じ傾向は東部日本の村々にも現れて居る。所謂菩提所を葬地とし、屋敷の端にある墓所に人をめるやうになつたのが即ちそれで、更に又三昧の塚の上に碑を立てゝ、そこを永遠に獨占しようとするのも、本の趣旨は一つであつたのだが、唯其結果として改葬といふ必要が無くなり、二次の葬式の痕跡が幽かになつたばかりに、何か南の島々の習俗を甚だ物遠いものゝ如く感ずるに至つたのである。