3話 三
読み方を変える
先づ第一に注意せられねばならぬのは、墓地には二つの種類があつて、それが村によつては二つとも、又村によつては甲乙何れかの一つしか無いといふことである。この地方的相異が多くの人の想像して居るやうに、果して單なる偶然であつたか、但しは又それ相應の原因があつて、一方は他に移つて行く一つの過程であるのか。それを考へて置くことが準備として必要であるやうに思ふ。今日の語でいふ共同墓地、以前には三昧とも亂塔場とも呼ばれて居たものゝ主たる特徴は、土地が公用公有であつて、何人の管理にも屬しなかつたことである。大きな都府に於ては是では秩序を維持し難かつた故に、一般に之を分散させて各宗寺院の境内に附屬せしめる方針を採つたらしいが、其效果がまだ完全に現れぬうちに、再び又大規模の共同墓地を設定して、公共團體が自身管理しなければならぬ時代にはなつたのである。斯ういふ沿革がある爲に、同じ總墓地でも村と市街地とでは、外觀の上にも早著しい差別があつて、後者に於ては曾て寺院の附屬地であつた頃の慣行が、茲にも持運ばれて其儘に成長して居る。墓上に碑を建てゝ其地を永久に占有しようとする風なども、その著しい一つの例である。
自分のよく知つて居る場合を標準に取つて、比較を進めて見るのが方法としては最も便利である。私の生れた中國東部の村などでは、三昧は遠く離れた原の端に大きなものが一つあつて、埋葬の儀式は勿論そこに行はれ、七七中陰の讀經までは、其新墓の前でしたやうに思ふ。それが何れの時を限りにしたものか、確實なる記憶は無いけれども、多分一周忌に石碑を建てることゝ關聯して居たのであらう。兎に角三年目の盆の墓參には、最早三昧の方へは行かなかつたのである。各部落には十戸二十戸分づゝ一群を爲して、極めて民家と接近した寺の裏手などに、我々の墓所といふ處があつて、そこには小さな石塔が狹苦しく竝列して居た。盆彼岸は元より後々の年忌にも、供養は常に此墓所の方でのみ營むことになつて居て、事實上の埋葬地は、何人も之を省みようとしなかつたやうである。
今から考へて見ると、村民の墓に對する觀念は、確かに現代のそれと異なつて居た。三昧の中央に近く、路脇の小高い處に一本の老松があつた。いつの葬式の日にも必ず會衆の話頭に上るのは、誰それをいけたのはどの邊であつたらうかといふことであつた。さうすると毎に此松の樹が引合ひに出て、是から南へ二十間位の處であつたとか、いや今少し西へふつて居たとか言つて、大よそあのあたりといふ以上に、精密に茲だと言ふ者は無かつた。最も古い私の記憶では、十年ほど前に此野邊に送られた自分の祖母の、葬處はどれだと言つて親しい者に尋ねたことがある。其時にも松の樹のすぐ近くであつたといふのみで、確かには何人も教へてくれなかつた。つまり我々は三昧を墓だとは思つて居なかつたのである。