4話 四
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併しちやうど其頃から、此共同墓地にも片脇に二つ三つの石塔が立ち始めて居た。それが追々と増加して遠くからも見えるやうになつて來た。移住者や新しい分家の墓地を持ち得ない者が、埋葬所を其儘墓所として拜むやうになつたのである。是と同時に部落に近い寺内や森蔭などにも、次第に人をめることになつた。是は家數が増加し三昧の利用が餘りに繁くなつて、新墓の早く亂されることを厭ふからで、つまりは法制がこの二通りの墓地に、何等取扱上の差別を設けなかつた結果である。
其後注意をして見ると、同じ中國の田舍でも、土地によつては早くから二種の墓地が連接して、一見區別の無いやうに見える處もあつた。併しそこには必ず中央に共同の葬儀場があり、其周圍には多くの新舊の盛り土、即ち碑石を建てずに自然の更改を豫期して居る墓場があつて、家々の墓として獨占して居るのは、單に便宜上それに隣する土地を選んだに過ぎなかつたことが想像せられる。村の共同墓地では、普通に念佛の道心などを番に置き、それに小さな庵室の如きものを附與し、彌陀地藏の像を安置する場合が多い。それが少しづゝ有力者の庇護を受けて、末には寺號などを持つことになると、寺が管理する私有の墓地と、外形に於ては甚だ近くなるが、是は現今の土地名寄帳などを調べても、起源の何れであるかは略知れる筈であり、又宗派の關係を考へて見てもわかることである。要するに村の社會の最小限の必要は共同墓地で、碑石は境遇と資力次第建てたり建てなかつたりして居たのだから、後になつて此共同墓地の隣に來り加はつたものと、一應は想像して置いてよいやうである。
墓地を寺院に托するやうになつた起原は、純然たる歴史の問題として、記録の上からも略之を尋ね究めることが出來るが、その一つ以前の状態が明らかにならぬ限りは、實はまだ風俗推移の動機を説くわけには行かぬ。それには現在の地方資料の、殆と無意識に保存せられて居たものを、改めて整理して見るより他は無いのである。屋敷と接近した控へ地の片隅などに、先祖代々の石塔を守護して居る例は、關東奧羽の村々に多いのみならず、是と全く隔絶した南九州の山村などにも、往々にして之を目撃したことがある。死穢を忌み怖れた古來の氣風から推すと、何か特別の事情なり原因なりがあつたと言はなければ、斯ういふ異例は解し難い樣であるが、實際は都邑の生活が始まつて以來、段々にこの慣行がすたれたといふのみで、現にその分布は全國であるから、之を以て曾て我々の間に、一種居地を埋葬地とする風習をもつ部族が、入交つて住んで居たといふ證據にすることは出來ない。或は又新たに人げの少ない原野を開發した家が、たま/\野獸や外敵を防衞する必要から、忍んで此の如き特例を設けたかの如く、考へて居る人も無いとは言はれぬが、是も其墓場が今尚埋葬所として、使用せられて居らぬものが多いのを見れば、やはり亦成立たざる一つの想像であつた。由來の不明なものは一應は固有と假定するの他は無い。即ち我々は夙に佛法の教化に信頼して、亡魂の管理を之に委ねようとしたけれども、所謂安養の道は別に其前から具はつて居た。さうして今ある如き野邊送りの儀式即ち葬地を直ちに墓とする風は、必ずしも直接には之と關係が無かつたらしいのである。