浮舟

10話

1,330字 約3分 2018年10月13日 公開

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「貴方、その欄干にかかりました真蒼(まっさお)な波の中に、あの撫子(とこなつ)の花が一束流れますような、薄い紅色の影の映ったのを、もしか、御覧なさりはしませんか。」

 ……と云う、瞳の色の美しさ、露を誘って(あかる)いまで。その色に誘われて、(おんな)が棄てた撥袋の鏡台の端に掛ったのを見た。

 我にもあらず(ぼう)と成って、

彼処(あすこ)に見える……あれですか。」

(いいえ)、あんなものじゃありません。」とやや気組(きぐ)んで言う。

「それでは?……」

(いいえ)()の色なんです。――あの時あの(ひと)――は緋の長襦袢を着ていました。月夜のような群青に、秋草を銀で刺繍(ぬいとり)して、ちらちらと黄金(きん)の露を置いた、薄いお太鼓をがっくりとゆるくして、(うすもの)の裾を敷いて、乱次(しどけ)なさったら無い風で、美しい足袋跣足(たびはだし)で、そのままスッと、あの別荘の縁を下りて、真直(まっすぐ)に小石の裏庭を突切(つッき)ると、葉のまばらな、花の大きなのが薄化粧して咲きました、」と言う……

 大輪の雪は、その褄を載せる翼であった。

「あの、夕顔の竹の木戸に、長い袂も触れないで、(ほっそ)りと出たでしょう。……松の樹の下を通る時は、遠い路を行くようでした。舟の(へり)を伝わると、あれ、船首(みよし)に紅い扱帯(しごき)が懸る、ふらふらと蹌踉(よろけ)たんです……酷く酔っていましたわね。

 立直った時、すっきりした横顔に、(もつ)れながら、島田髷(しまだ)も姿も(すわ)りました。

 私はその時、隣家の淡路館の裏にあります、ぶらんこを掛けました、柱の処で見ていたんですよ、一昨年ですわね、――巽さん。」

 と、(しか)(ふるえ)を帯びた声で、更めて名を呼んで、

「貴方に(こが)れて亡く成りました、あの、――小雪さん――の事ですよ。」

 ()に、それは、小雪は伊勢の名妓であった。

 辰吉は、ハッと気を打って胸を退()いた。片膝揚げつつ(かまち)背後(うしろ)へ、それが一浪乗って揺れた風情である。

 褄に曳いたも水浅葱、団扇の名の深草ならず、宮歳の姿も波に乗ってぞ語りける。

「不思議ですわね、あの時、海が迎いに来て、渚が、小雪さんに近く成ると、もう白足袋が隠れました。蹴出(けだ)しの褄に、藍がかかって、見渡す限り渚が白く、海も空も、薄い萌黄でござんした。

 其処に唯一人、あの(ひと)が立ったんです。(こうがい)がキラキラすると、脊の嫋娜(すらり)とした、裾の色の(くれない)を、潮が見る見る消して青くします。浪におされて、(うすもの)は、その、あの蹴出しにしっとり離れて、取乱したようですが、ああした品の可い人ですから、須磨の浦、明石の浜に、緋の袴で居るようでした。」

 ――驚破(すわ)泳ぐ、とその時、池川の縁側では大勢が喝采した。――

「あれあれ渚を離れる、と浪の力に裾を取られて、羅のそのまんま、一度肩まで浸りましたね。()と立つ時、遠浅の青畳、真中とも思うのに、錦の帯の結目が(さっ)と落ちて、夢のような秋草に、濡れた(ぎん)の、蒼い露が、雫のように散ったんです。

 まあ、顔が真蒼(まっさお)、と思うと、小雪さんは(じっ)と沖を凝視(みつ)めました、――其処に――貴方のお(つむり)と、真白な肩のあたりが視えましたよ。

 近所を漕いだ屋根舟の揺れた事!

 貴方は泳いで()らしったんです。

 真裸の男まじりに、三四人、私の知った芸者たちも五六人、ばらばらと浜へ駈けて出る。中には(もや)った船に乗って、両手を挙げて、呼んだ方もござんした、が、()うその時は波の下で、小雪さんの髪が乱れる、と思う。海の空に、珠の(かんざし)の影かしら、晃々(きらきら)一ツ星が見えました。」

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