浮舟

11話 十一

1,725字 約3分 2018年10月13日 公開

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「その裸体(はだか)なのは別荘の爺やさんでございましたってね。」

「さよう治平と云う風呂番です。」と言いながら、巽の(おもて)(めん)の如く瞳が据った。

 (ともし)なき御神燈は、暮迫る土間の上に、無紋の白張(しらはり)髣髴(ほうふつ)する。

「爺さんが海へ飛込んで、鉛の水を掻くように、足掻(あが)いて、波を分けて追掛けましたわね。

 丁ど沖から一波立てて、貴方が泳返しておいでなさいます――

 あとで、貴方がお話しなすッたって……あの、承りましたには、仰向けに成って、浪の下の小雪さんが、……()ぞ苦しかったでしょう、乳を透して絽の紅い、其処の水が桃色に(うっす)りと(から)んでいる、胸を細く、両手で軽く襟を取って、(はだ)けそうにしていたのが、貴方がその傍にお寄りなさいました煽りに、すっと立って、髷に水をかぶっていて、貴方の胸へ前髪をぐっちょり、()けました時、あの、うつくしい白足袋が、――丁ど咽喉(のど)の処へ潮を受けてお起ちなすった、――貴方の爪先へ、ぴたりと揃った、と申すじゃありませんか。」

 巽は框をすっくと立った!

「……吃驚(びっくり)なすって、貴方は、小雪さんの胸を敷いて、前へお流れなさいましたってね。」

「そして驚いて水を飲んだ、今も一斉(いっとき)に飲むような気がします。」と云う顔も白澄むのである。

「其処を爺さんが抜切って、小雪さんを抱きました。ですけれども、()うその時、あの(ひと)呼吸(いき)は絶えていたのです――あの日は、小雪さんは、大変にお酒を飲んでいたんですってね、茶碗で飲んで、杯洗(はいせん)まであけたんだそうですね。深酒の上に、急に海へ入ったもんですから、血が(とま)ってしまったんでしょう。

 そして、死体に成ってから、貴方のお胸に縋着(すがりつ)いたんじゃありませんか、海の中で、」

 と膝を寄せる、褄が流れて、(おんな)は巽の手を取った。

 指が触ると、掌に、(おんな)の姿は(うなじ)の白い、翼の青い、怪しく美しい鳥が留ったような気がして、巽の腕は萎えたる如く、往来(ゆきき)端近(はしぢか)な処に居ながら、振払うことが出来なかった。……四辺(あたり)を見ると、次の間の長火鉢の傍なる腰窓の竹を透いて、其処が空地らしく幻の草が見えた。

「巽さん。」

「…………」

「あの、風呂番の爺さんは、そのまま小雪さんを(おぶ)い返して、何しろ、水浸しなんですから、すぐにお座敷へは、とそう思ったんでしょう。一度、あの松に(もや)った、別荘の船の中へ抱下(だきおろ)しましたわね。雫に浜も美しい……小雪さんの裾を長く曳いた姿が、頭髪(かみ)から濡れてしおしおと(ふなべり)に腰を掛けました。あの、白いとも、蒼いとも玉のように澄んだ顔。紅も散らない唇から、すぐに、(ほっ)と息が出ようと、誰も皆思ったのが、一呼吸(ひといき)の間もなしにバッタリと胴の間へ、島田を崩して倒れたんです。

 お浴衣じゃありましたけれど、其処にお(みおび)一所(いっしょ)に。」

 と(おんな)は情に堪えないらしく、いま、巽の帯に、片頬を(じっ)と。……一息して、

「貴方のお召ものが脱いで置いてありました。(おんな)の一念……()うそれですもの。……螢はお迎いに行ったんですよ。欄干にかかりました二見ヶ浦の青い波は、沖から、逢いに来たんです。

 不便(ふびん)とお思いなさいまし。小雪さんは一言も何にも口へは出さないで、こがれ(じに)をしたんです。

 素振(そぶり)気振(けぶり)が精一杯、心は通わしたでしょうのに、普通(なみ)の人より、色も、恋も、百層倍、御存じの貴方でいて、(ちっ)とも汲んでお遣んなさらない!――(いいえ)、小雪さんの心は、よく私が存じております。――

 俺は知らない、迷惑だ、と(きっ)と貴方は、()うおっしゃいましょうけれど、芸妓(つとめ)したって、(ひと)ですもの、分けて、あんな、おとなしい、内気な小雪さんなんですもの、打ちつけに言出せますか。

 察しておいで遊ばしながら、――いつも御贔屓を受けていましたものですから、池川さんの、内証の御寵妓(おきにいり)ででもあるようにお思いなすって、その義理で、……あれだけに焦れたものを、かなえてお遣んなさらない。……

 堅気はそうじゃあござんすまい、こうした稼業の果敢(はかな)い事は、金子(かね)の力のある人には、(きっ)と身を任せている、と思われます。

 御酒の上のまま事には、団扇と枕を寝かしておいて、釣手を一ツ貴方にまかして、二人で蚊帳も釣りましたものを。」……と言う。

 その蚊帳のような、海のような、青いものが、さらさらと肩にかかる、と思うと、いつか我身はまた框に掛けつつ、女の顔が(ふっ)と浮いて、空から(じっ)と覗いたのである。

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