11話 十一
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「その裸体なのは別荘の爺やさんでございましたってね。」
「さよう治平と云う風呂番です。」と言いながら、巽の面は面の如く瞳が据った。
灯なき御神燈は、暮迫る土間の上に、無紋の白張に髣髴する。
「爺さんが海へ飛込んで、鉛の水を掻くように、足掻いて、波を分けて追掛けましたわね。
丁ど沖から一波立てて、貴方が泳返しておいでなさいます――
あとで、貴方がお話しなすッたって……あの、承りましたには、仰向けに成って、浪の下の小雪さんが、……嘸ぞ苦しかったでしょう、乳を透して絽の紅い、其処の水が桃色に薄りと搦んでいる、胸を細く、両手で軽く襟を取って、披けそうにしていたのが、貴方がその傍にお寄りなさいました煽りに、すっと立って、髷に水をかぶっていて、貴方の胸へ前髪をぐっちょり、着けました時、あの、うつくしい白足袋が、――丁ど咽喉の処へ潮を受けてお起ちなすった、――貴方の爪先へ、ぴたりと揃った、と申すじゃありませんか。」
巽は框をすっくと立った!
「……吃驚なすって、貴方は、小雪さんの胸を敷いて、前へお流れなさいましたってね。」
「そして驚いて水を飲んだ、今も一斉に飲むような気がします。」と云う顔も白澄むのである。
「其処を爺さんが抜切って、小雪さんを抱きました。ですけれども、最うその時、あの妓の呼吸は絶えていたのです――あの日は、小雪さんは、大変にお酒を飲んでいたんですってね、茶碗で飲んで、杯洗まであけたんだそうですね。深酒の上に、急に海へ入ったもんですから、血が留ってしまったんでしょう。
そして、死体に成ってから、貴方のお胸に縋着いたんじゃありませんか、海の中で、」
と膝を寄せる、褄が流れて、婦は巽の手を取った。
指が触ると、掌に、婦の姿は頸の白い、翼の青い、怪しく美しい鳥が留ったような気がして、巽の腕は萎えたる如く、往来に端近な処に居ながら、振払うことが出来なかった。……四辺を見ると、次の間の長火鉢の傍なる腰窓の竹を透いて、其処が空地らしく幻の草が見えた。
「巽さん。」
「…………」
「あの、風呂番の爺さんは、そのまま小雪さんを負い返して、何しろ、水浸しなんですから、すぐにお座敷へは、とそう思ったんでしょう。一度、あの松に舫った、別荘の船の中へ抱下しましたわね。雫に浜も美しい……小雪さんの裾を長く曳いた姿が、頭髪から濡れてしおしおと舷に腰を掛けました。あの、白いとも、蒼いとも玉のように澄んだ顔。紅も散らない唇から、すぐに、吻と息が出ようと、誰も皆思ったのが、一呼吸の間もなしにバッタリと胴の間へ、島田を崩して倒れたんです。
お浴衣じゃありましたけれど、其処にお帯と一所に。」
と婦は情に堪えないらしく、いま、巽の帯に、片頬を熟と。……一息して、
「貴方のお召ものが脱いで置いてありました。婦の一念……最うそれですもの。……螢はお迎いに行ったんですよ。欄干にかかりました二見ヶ浦の青い波は、沖から、逢いに来たんです。
不便とお思いなさいまし。小雪さんは一言も何にも口へは出さないで、こがれ死をしたんです。
素振、気振が精一杯、心は通わしたでしょうのに、普通の人より、色も、恋も、百層倍、御存じの貴方でいて、些とも汲んでお遣んなさらない!――否、小雪さんの心は、よく私が存じております。――
俺は知らない、迷惑だ、と屹と貴方は、然うおっしゃいましょうけれど、芸妓したって、女ですもの、分けて、あんな、おとなしい、内気な小雪さんなんですもの、打ちつけに言出せますか。
察しておいで遊ばしながら、――いつも御贔屓を受けていましたものですから、池川さんの、内証の御寵妓ででもあるようにお思いなすって、その義理で、……あれだけに焦れたものを、かなえてお遣んなさらない。……
堅気はそうじゃあござんすまい、こうした稼業の果敢い事は、金子の力のある人には、屹と身を任せている、と思われます。
御酒の上のまま事には、団扇と枕を寝かしておいて、釣手を一ツ貴方にまかして、二人で蚊帳も釣りましたものを。」……と言う。
その蚊帳のような、海のような、青いものが、さらさらと肩にかかる、と思うと、いつか我身はまた框に掛けつつ、女の顔が弗と浮いて、空から熟と覗いたのである。