12話 十二
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「これが俳優なの。」
「まあ。」
しょろしょろ、浪が嬲るような、ひそひそと耳に囁く声。
松原の茶店の婦の、振舞酒に酔い痴れて、別荘裏なる舫船に鼻唄で踏反って一寝入りぐッと遣った。が、こんな者に松の露は掛るまい、夜気にこそぐられたように、むずむずと目覚めた六蔵。胴の間に仰向けで、身うちが冷える。唯、野宿には心得あり。道中笠を取って下腹へ当がって、案山子が打倒れた形でいたのが。――はじめは別荘の客、巽辰吉が、一夜の宿をしようと云った、情ある言を忘れず、心に留めて、六が此処に寝たのを知って、(船に苫を葺いてくれるのじゃないか。)と思った。
舷へ、かたかたと何やら嵌込む……
その嵌めるものは、漆塗の艶やかな欄干のようである、……はてな、ひそめく声は女である。――
うまれながらにして大好物。寝た振でいて目を働かすと、舷に立かかって綺麗な貝の形が見える、大きな蛤。
それが、その貝の口を細く開いた奥に、白銀の朧なる、たとえば真珠の光があって、その影が、幽に暗夜に、ものの形を映出す。
「芸妓が化けたんだ、そんな姿で踊でも踊っていたろう。」
時に、そんなのが一個ではない。左舷の処にも立っている。これも同じように、舷へ一方から欄干らしいものを嵌めた、かたり、と響く。
外にもまだ居る……三四人、皆おなじ蛤の姿である。
「祭礼の揃かな、蛤提灯――こんなのに河豚も栄螺もある、畑のものじゃ瓜もあら。……茄子もあら。」
但しその提灯を持っているものの形は分らぬ。が、蛤の姿である……と云うのが、衣服、その袖、その帯と思う処がいずれも同じ蛤で、顔と見るのが蛤で、目鼻と思い、口と思うのが蛤で、そして灯が蛤である。
襟か袖かであるらしく、且つ暗の綾の、薄紫の影が籠む。
時にかたかたと響いて、二三人で捧げ持った気勢がして、婦の袖の香立蔽い、船に柱の用意があって、空を包んで、トンと据えたは、屋根船の屋根めいて、それも漆の塗の艶、星の如き唐草の蒔絵が散った。左舷右舷も青貝摺。
六蔵は雛壇で見て覚えのある車のようだ、と偶と思う。
時に、蛤が口を開いた。否、提灯が、真珠の灯を向けたのである、六の顔へ――そして女の声で言った。
「これが俳優なの?」
「まあ。」
「醜い俳優だわね。」
――ままにしろ、此奴等――と心の裡で、六蔵は苦り切る。
「まだ、来ていやしまいと思ったのに、」
「そして、寝ているんだもの、情のない。」
「心中の対手の方が、さきへ来て寝ているなんて。」
「ねえ、」
と応じて、呆れたように云った、と思うと、ざっと浪が鳴って、潮が退いたらしく寂寞する。
欄干も、屋根も、はっと消えて、蒔絵も星も真の暗闇。
直ぐに、ひたひた、と跫音して、誰か舷へ来たらしい。
透通るような声が、露に濡れて、もの優しい湿を帯びつつ、
「……巽さん。」
途端に、はっと衣の香と、冷い黒髪の薫がした。
「ああれ、違って……違っているよう。」