浮舟

12話 十二

1,195字 約2分 2018年10月13日 公開

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「これが俳優(やくしゃ)なの。」

「まあ。」

 しょろしょろ、浪が(なぶ)るような、ひそひそと耳に囁く声。

 松原の茶店の(おんな)の、振舞酒に酔い痴れて、別荘裏なる舫船に鼻唄で踏反(ふんぞ)って一寝入りぐッと遣った。が、こんな者に松の露は掛るまい、夜気にこそぐられたように、むずむずと目覚めた六蔵。胴の間に仰向けで、身うちが冷える。()、野宿には心得あり。道中笠を取って下腹へ(あて)がって、案山子(かかし)打倒(ぶったお)れた形でいたのが。――はじめは別荘の客、巽辰吉が、一夜の宿をしようと云った、情ある(ことば)を忘れず、心に留めて、六が此処に寝たのを知って、(船に(とま)()いてくれるのじゃないか。)と思った。

 (ふなばた)へ、かたかたと何やら嵌込(はめこ)む……

 その嵌めるものは、漆塗の艶やかな欄干のようである、……はてな、ひそめく声は女である。――

 うまれながらにして大好物。寝た振でいて目を働かすと、舷に立かかって綺麗な貝の形が見える、大きな蛤。

 それが、その貝の口を細く開いた奥に、白銀(しろがね)の朧なる、たとえば真珠の光があって、その影が、(かすか)暗夜(やみよ)に、ものの形を映出(うつしだ)す。

「芸妓が化けたんだ、そんな姿で(おどり)でも踊っていたろう。」

 時に、そんなのが一個(ひとつ)ではない。左舷の処にも立っている。これも同じように、舷へ一方から欄干らしいものを嵌めた、かたり、と響く。

 外にもまだ居る……三四人、皆おなじ蛤の姿である。

祭礼(まつり)(そろい)かな、蛤提灯――こんなのに河豚も栄螺(さざえ)もある、畑のものじゃ瓜もあら。……茄子(なすび)もあら。」

 但しその提灯を持っているものの形は分らぬ。が、蛤の姿である……と云うのが、衣服(きもの)、その袖、その帯と思う処がいずれも同じ蛤で、顔と見るのが蛤で、目鼻と思い、口と思うのが蛤で、そして(ともしび)が蛤である。

 襟か袖かであるらしく、且つ(やみ)の綾の、薄紫の影が()む。

 時にかたかたと響いて、二三人で捧げ持った気勢(けはい)がして、(おんな)の袖の香立蔽(たちおお)い、船に柱の用意があって、空を包んで、トンと据えたは、屋根船の屋根めいて、それも漆の塗の(つや)、星の如き唐草の蒔絵が散った。左舷右舷も青貝摺(あおがいずり)

 六蔵は雛壇で見て覚えのある車のようだ、と()と思う。

 時に、蛤が口を開いた。(いや)、提灯が、真珠の灯を向けたのである、六の顔へ――そして女の声で言った。

「これが俳優(やくしゃ)なの?」

「まあ。」

(きたな)俳優(やくしゃ)だわね。」

 ――ままにしろ、此奴等(こいつら)――と心の裡で、六蔵は苦り切る。

「まだ、来ていやしまいと思ったのに、」

「そして、寝ているんだもの、(じょう)のない。」

「心中の対手(あいて)の方が、さきへ来て寝ているなんて。」

「ねえ、」

 と応じて、呆れたように云った、と思うと、ざっと浪が鳴って、潮が退いたらしく寂寞(ひっそり)する。

 欄干も、屋根も、はっと消えて、蒔絵も星も真の暗闇(やみ)

 直ぐに、ひたひた、と跫音(あしおと)して、誰か舷へ来たらしい。

 透通るような声が、露に濡れて、もの優しい湿(うるみ)を帯びつつ、

「……巽さん。」

 途端に、はっと衣の()と、冷い黒髪の(かおり)がした。

「ああれ、違って……違っているよう。」

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