浮舟

3話

1,251字 約3分 2018年10月13日 公開

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 黄昏(たそがれ)に、御泊(おとまり)を待つ宿引女(やどひきおんな)の、(ひさし)はずれの床几(しょうぎ)に掛けて、島田、円髷(まるまげ)銀杏返(いちょうがえし)(なで)つけ髪の夕化粧、姿を(ななめ)に腰を掛けて、浅葱(あさぎ)に、白に、紅に、ちらちら手絡(てがら)の色に通う、団扇(うちわ)の絵を動かす(さま)、もの言う声も(なまめ)かしく傾城町(けいせいまち)の風情がある。

 浦づたいなる掃いたような白い道は、両側に軒を並べた、家居(いえい)の中を、あの注連(しめ)を張った岩に続く……、松の蒔絵(まきえ)の貝の一筋道。

 氷店(こおりみせ)休茶屋(やすみぢゃや)、赤福売る店、一膳めし、就中(なかんずく)(ひよどり)の鳴くように、けたたましく往来(ゆきき)を呼ぶ、貝細工、寄木細工の小女どもも、昼から夜へ日脚(ひあし)の淀みに商売(あきない)逢魔(おうま)(どき)一時(ひとしきり)(なり)を鎮めると、出女の髪が黒く、白粉(おしろい)が白く成る。

 優い声で、

「もし、お泊りかな。」

「お泊りやすえ。」

 彼方(あっち)でも、お泊りやす、此方(こっち)でも、お泊りやす、と愛嬌声の口許は、松葉牡丹の紅である。

「泊るよ。」

 其処(そこ)へ、突掛(つッか)けに 紺がすりの汗ばんだ道中(どうちゅう)を持って()くと、

「はい、お旅籠は上中下と三段にございますがな、最下等にいたしましても……」

 ()うして、こんな旅籠へ一宿出来よう、服装(みなり)を見ての口上に違いないから。

「何だ。無価(ただ)泊めようと云うのじゃねえのか。」

(ほか)を聞いておくんなはれ。」

指揮(さしず)は受けねえ。」と肩を揺って、のっさり通る。

「お泊りやす。」

「俺か。」とまたずっと寄る。

(いいえ)、違いまんの。」

(ざま)あ見ろ、へへん。」

 と、半分白い目で天を仰いで、拗ねたようにそのまま素通(すどおり)

 この(あたり)とて、道者宿、木賃泊りが無いではない。要するに、容子(ようす)()婦人(たぼ)が居て、(ゆうべ)をほの白く道中を招く旅籠では、風体の(かく)の如き、君を客にはしないのである。

 ()石瓦(いしがわら)、古新聞、乃至(ないし)懐中(ふところ)(から)っぽでも、一度目指した軒を潜って、座敷に足さえ踏掛(ふんが)くれば、銚子を倒し、椀を替え、比目魚(ひらめ)だ、鯛だ、と(ぜい)を言って、按摩(あんま)まで取って、ぐっすり寝て、いざ出発の勘定に、五銭の白銅一個(ひとつ)持たないでも、彼はびくとも()るのではなかった。

 針が一本――魔法でない。

 この(ろく)でなしの六蔵は、元来腕利きの仕立屋で、女房と世帯(しょたい)を持ち、弟子小僧も使った奴。酒で崩して、賭博(ばくち)を積み、いかさまの目ばかり()った、(おの)の名の旅双六(たびすごろく)、花の東都(あずま)夜遁(よに)げして、神奈川宿のはずれから、早や旅銭なしの食いつめもの、旅から旅をうろつくこと既にして三年(ごし)

 右様(みぎよう)の勘定書に対すれば、洗った面で、けろりとして、

「おう、仕立ものの用はねえか。羽織(はおり)でも、(はかま)でも。何にもなきゃ経帷子(きょうかたびら)を縫って()ら。勘定は差引だ。」

 女郎屋の朝の居残りに遊女(おんな)どもの顔を(あた)って、虎口(ここう)(のが)れた床屋がある。――それから見れば、旅籠屋や、温泉宿で、上手な仕立は重宝(ちょうほう)で、六の名は(しち)同然、融通(ゆうずう)は利き過ぎる。

 (もっと)も仕事を稼ぎためて、小遣(こづかい)のたしにするほどなら、女房を棄てて流浪なんかしない筈。

 からっけつの尻端折(しりっぱしょり)(かさ)一蓋(いちがい)()たッ(きり)(すずめ)と云うも恥かしい阿房鳥(あほうどり)黒扮装(くろいでたち)で、二見ヶ浦に(ねぐら)を捜して、

「お泊りだ、お一人さん――旅籠は(びた)でお(きま)り、そりゃ。」と指二本、出女(でおんな)目前(めさき)へぬいと出す。

 誰が対手(あいて)に成るものか、黙って動かす団扇の手は、浦風を軒に誘って、背後(うしろ)から……塩花(しおばな)塩花。

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