浮舟

4話

1,223字 約2分 2018年10月13日 公開

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 六は門並(かどなみ)六七軒。

 風体と面構(つらがまえ)で、その指二本突出して、二両を二百に値切っても、怒って喧嘩はしないけれど、(たれ)も取合うものはなし。

 いざ、と成れば、法もかく、手心は心得たが、さて指当(さしあた)って、腹は空く、汗は流れる、咽喉(のど)は乾く、氷屋へ入る仕覚(しがく)も無かった。

 すねた顔色(つらつき)、ふてた図体(ずうたい)、そして、身軽な旅人の笠捌(かささば)きで、出女の中を伸歩行(のしある)く、白徒(しれもの)の不敵らしさ。梁山泊(りょうざんぱく)割符(わりふ)でも襟に縫込んでいそうだったが、晩の旅籠にさしかかった(うえ)疲労(つかれ)は、……六よ、怒るなよ……実際余所目(よそめ)には、ひょろついて、途方に暮れたらしく可哀(あわれ)に見えた。

 この後を、道の小半町(こはんちょう)、嬉しそうに、おかしそうに、(なが)め視め、片頬笑みをしながら()いて歩行(ある)いたのは、糊のきいた白地の浴衣(ゆかた)に、絞りの兵児(へこ)帯無雑作にぐるりと捲いた、耳許(みみもと)の青澄んで見えるまで、頭髪(かみのけ)の艶のいい、鼻筋の通った、色の浅黒い、三十四五の、すっきりとした男で。何処(どこ)にも白粉の影は見えず、下宿屋の二階から放出(ほうりだ)した書生らしいが、京阪地(かみがた)にも東京にも人の知った、巽辰吉(たつみたつきち)と云う名題(なだい)俳優(やくしゃ)

 で、六が砂まぶれの脚絆をすじりもじって、別荘の門を通ったのと、一足違いに、彼は庭下駄で、小石を綺麗に敷詰めた、間々(あいあい)に、濃いと薄いと、すぐって緋色なのが、やや曇って咲く、松葉牡丹(まつばぼたん)の花を拾って、その別荘の表の木戸を街道へぶらりと出た。

 巽は時に、酔ざましの薬を買いに出たのであった。

 客筋と云うのではない、松坂の富豪池川とは、近い血筋ほどに別懇(べっこん)な親類交際(づきあい)。東に西に興行の都度(つど)、日取の都合が付きさえすれば、伊勢路に廻って遊ぶのが習いで、()けて夏は、三日なり二日なり此処に来ない事はないのであった。

 今度も、別荘の主人が一所(いっしょ)で、新道の芸妓お美津(みつ)、踊りの上手なかるたなど、取巻(とりまき)大勢と、他に土地の友だちが二三人で、昨日から夜昼なし。

 向う側の官営煙草、兼ねたり薬屋へ、ずっと入って巽が、

「御免よ。」

「はい、お出でなさいまし。」

 ()側対(かわむか)いの淡路屋の軒前(のきさき)に、客待(きゃくまち)うけの円髷に突掛(つッかか)って、六でなしの六蔵が、(おい、泊るぜえ)を遣らかす処。――考えても――(あが)(ばな)には萌黄と赤と上草履をずらりと揃えて、廊下の奥の大広間には洋琴(ピアノ)を備えつけた館と思え――彼奴(きゃつ)が風体。

 傍見(わきみ)をしながら、

宝丹(ほうたん)はありますかい。」

一寸(ちゃと)、ござりまへんで。」

「無い。」

左様(さい)で、ござりません。仁丹が()うござりますやろ。」と夕間暮(ゆうまぐれ)薬箪笥(くすりだんす)に手を掛ける、とカチカチと鳴る(かん)とともに、額の抜上った首を振りつつ(おおき)な眼鏡越にじろりと()る。

「宝丹が欲しいんだがね。」

(えら)い、お生憎様(あいにくさま)で。」

「お邪魔を。」

「何うだ、(あんね)え、これだけじゃ。」

 六は(また)指二本。

 この、笠ぐるみ振分けを(まく)()の一方へ、(ふどし)も見える高端折(たかばしょり)、脚絆ばかりの切草鞋で、片腕を揮ったり、挙げたり、鼻の下を擦ったり、べかこと赤い目を剥いたり、勝手に軒をひやかして、ふらふらと街道を()して行くのが、如何にも舞台馴れた演種(しぐさ)に見えて、巽はうかうか独笑(ひとりえみ)してその(あと)に続いたのである。

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