浮舟

5話

1,267字 約3分 2018年10月13日 公開

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 やがて一町(ひとまち)出はずれて、小松原に、紫陽花(あじさい)の海の見える処であった。

「君、君。」

 何と思ったか、巽がその六でなしを呼んだのである。

「ええ、手前で、へい。」と云うと、ぎっくり腰を折って、膝の処へ一文字(いちもんじ)に、つん、と伏せた笠の上、額を着けそうにして一ツおじぎをした工合が、丁寧と言えば丁寧だが、何とも人を食った形に見える。

 辰吉は片頬笑(かたほほえみ)して、

「突然で失礼ですがね、何処(どこ)此処(どこここ)と云ってるよりか、私の(とこ)へ泊っちゃ何うです。」

「へい、貴方(あなた)へ。」と、俯向(うつむ)けていた地薄な角刈(かくがり)の頭を(もた)げて、はぐらかす気か、汗ばんだか、手の甲で目を擦って、ぎろりと巽の顔を見た。

「何うです、泊りませんか……ッたってね、私も実は、余所(よそ)の別荘に食客(いそうろう)と云うわけだが、大腹(たいふく)な主人でね、戸締りもしない(うち)なんだから、一晩、君一人ぐらい、私が引受けて何うにもしますよ。」

「へええ、御串戯(ごじょうだん)を。」と道の前後を《みまわ》して、苦笑いをしつつ、一寸(ちょっと)頭を掻いたは、(さて)は、我が挙動(ふるまい)を、と思ったろう。

「串戯なもんですか。」

 其処が水菓子屋の店前で――巽は、別に他に見当らなかったので、――居合す小僧に振向いて、()う一軒薬屋はないか、と聞いて、心得て出て、更めて言った。

真個(ほんとう)だよ、君。」

 と笑いながら、……もう向うむいて行きかける六蔵を(また)呼んで、

「……今君が通って来た、あの、旭館と淡路屋と云う(おおき)な旅館の間にある、別荘に居るんだからね。」

「何とも難有(ありがて)思召(おぼしめし)で、へい。」

 と、も一度笠を出して(つら)を伏せて、

「いずれまた……」

「ではさようなら。」

「御機嫌よろしゅう。」

 二見ヶ浦を西、東。

 思いも掛けない親船に、六はゆすぶった身体を鎮めて、足腰をしゃん()く。

「兄さん、兄さん。」

「親方。」

 と若い女が諸声で、やや色染めた紅提灯、松原の茶店から、夕顔別当、白い顔、絞の浴衣が、飜然(ひらり)と出て、六でなしを左右から。

「親方。」

「兄さん。」

「ええ、(おら)が事か。兄さん、とけつかったな。聞馴(ききな)れねえ口を利きやあがる。幾干(いくら)で泊める。こう、旅籠は幾干だ。」

(いいえ)、宿屋じゃありません。まあ、お掛けなさいな。」

「よう一寸。」

「何にも持たねえ、茶代が無えぜ。」

「何んですよ、そんな事は。」

「はてな、聞馴れねえ口を利きやあがる。」

「その代りね、今、親方、其処で口を利いたでしょう。」

「一寸、あの方は何と云って。矢張(やっぱ)普通(ただ)の人間とおんなじ口の利き方をなさる事? 一寸さあ……」

 と衣紋(えもん)を抜く。

 六蔵()めぬ面の眉を(しか)め、

「何だ、人間の口の利方(ききかた)だ?……ほい、じゃ、ありゃ此処等(ここら)の稲荷様か。」

「まあ!」

「何だい?」

「あら、名題の方じゃありませんか、巽さんと云う俳優(やくしゃ)だわよ。」

「畜生め、此奴等(こいつら)、道理で騒ぐぜ。むむ、素顔にゃはじめてだ。」

 と、遠くを行く辰吉のすらりとした、後姿に伸上る。

「可いわねえ。」と、可厭(いや)目色(めつき)

「黙ってろ。俺もこう見えて江戸児(えどっこ)だ。巽の仮声(こわいろ)うめえんだ。……」

「あら、嬉しい。ひい!」と泣声を放ったり。

「馳走をしねえ、聞かして()ら。二見中の(あわび)と鯛を背負(しょ)って来や。熱燗熱燗。」と大手をふった。

 これじゃ(やが)て、鼻唄も出そうである。

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