5話 五
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やがて一町出はずれて、小松原に、紫陽花の海の見える処であった。
「君、君。」
何と思ったか、巽がその六でなしを呼んだのである。
「ええ、手前で、へい。」と云うと、ぎっくり腰を折って、膝の処へ一文字に、つん、と伏せた笠の上、額を着けそうにして一ツおじぎをした工合が、丁寧と言えば丁寧だが、何とも人を食った形に見える。
辰吉は片頬笑して、
「突然で失礼ですがね、何処此処と云ってるよりか、私の許へ泊っちゃ何うです。」
「へい、貴方へ。」と、俯向けていた地薄な角刈の頭を擡げて、はぐらかす気か、汗ばんだか、手の甲で目を擦って、ぎろりと巽の顔を見た。
「何うです、泊りませんか……ッたってね、私も実は、余所の別荘に食客と云うわけだが、大腹な主人でね、戸締りもしない内なんだから、一晩、君一人ぐらい、私が引受けて何うにもしますよ。」
「へええ、御串戯を。」と道の前後を《みまわ》して、苦笑いをしつつ、一寸頭を掻いたは、扨は、我が挙動を、と思ったろう。
「串戯なもんですか。」
其処が水菓子屋の店前で――巽は、別に他に見当らなかったので、――居合す小僧に振向いて、最う一軒薬屋はないか、と聞いて、心得て出て、更めて言った。
「真個だよ、君。」
と笑いながら、……もう向うむいて行きかける六蔵を再呼んで、
「……今君が通って来た、あの、旭館と淡路屋と云う大な旅館の間にある、別荘に居るんだからね。」
「何とも難有え思召で、へい。」
と、も一度笠を出して面を伏せて、
「いずれまた……」
「ではさようなら。」
「御機嫌よろしゅう。」
二見ヶ浦を西、東。
思いも掛けない親船に、六はゆすぶった身体を鎮めて、足腰をしゃんと行く。
「兄さん、兄さん。」
「親方。」
と若い女が諸声で、やや色染めた紅提灯、松原の茶店から、夕顔別当、白い顔、絞の浴衣が、飜然と出て、六でなしを左右から。
「親方。」
「兄さん。」
「ええ、俺が事か。兄さん、とけつかったな。聞馴れねえ口を利きやあがる。幾干で泊める。こう、旅籠は幾干だ。」
「否、宿屋じゃありません。まあ、お掛けなさいな。」
「よう一寸。」
「何にも持たねえ、茶代が無えぜ。」
「何んですよ、そんな事は。」
「はてな、聞馴れねえ口を利きやあがる。」
「その代りね、今、親方、其処で口を利いたでしょう。」
「一寸、あの方は何と云って。矢張り普通の人間とおんなじ口の利き方をなさる事? 一寸さあ……」
と衣紋を抜く。
六蔵解めぬ面の眉を顰め、
「何だ、人間の口の利方だ?……ほい、じゃ、ありゃ此処等の稲荷様か。」
「まあ!」
「何だい?」
「あら、名題の方じゃありませんか、巽さんと云う俳優だわよ。」
「畜生め、此奴等、道理で騒ぐぜ。むむ、素顔にゃはじめてだ。」
と、遠くを行く辰吉のすらりとした、後姿に伸上る。
「可いわねえ。」と、可厭な目色。
「黙ってろ。俺もこう見えて江戸児だ。巽の仮声がうめえんだ。……」
「あら、嬉しい。ひい!」と泣声を放ったり。
「馳走をしねえ、聞かして遣ら。二見中の鮑と鯛を背負って来や。熱燗熱燗。」と大手をふった。
これじゃ頓て、鼻唄も出そうである。