上州沼田より日光へ

5話 五 田岡嶺雲の墓

1,119字 約2分 2019年9月11日 公開

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一浴して、快更に加はる。晩食の鍋に、紅の肉堆し。食ひて見たるに、牛肉には非ず。馬肉かと問へば、『鹿の肉なり』といふ。馬と鹿とは辨じても、馬肉と鹿肉とを辨ぜざるやうにては、いづれ我等も趙高に馬鹿にせらるゝを免れざるべし、と笑ひ興ず。

 明くれば、風花に送られて湯本を發す。風花とは、奧山に積れる雪を風の吹送り來たる也。大尻、丸、菅の三湖を見來りて、湯の湖に對すれば、更に一層大なるに、目先かはりて面白し。湯の湖より瀉下する湯瀑は、高さ三四十丈、幅十數間天下の大瀑たるを失はず。一里四方の戰場ヶ原將に盡きむとする頃、右側に龍頭瀑を見る。瀑としては勾配緩に、急湍としては勾配急なる奔流也。中禪寺湖に出づ。湯の湖よりもなほ一層大也。海拔四千一百九十四尺、ひろさは東西三里、南北一里と稱す。一里あまり湖岸をつたひて、中宮祠に來り、一店に投じて、蕎麥を食ひ、且つ飮む。今日の午食は、早く簡單に濟みたり。

 湖と別れて數町、絶壁の中程まで下りて、近く華嚴の瀑に對す。直下七十五丈と稱す。水の一半は、未だ瀑壺に落ちざる前に烟となりて上昇す。いつ見ても爽快きはまる大瀑也。日本の瀑布を角力に見立てて、那智を西の大關とすれば、華嚴は東の大關なるべし。而も直下の趣は華嚴の獨得也。見晴山に上りて、後ろは男體山を仰ぎ、中禪寺湖に俯し、前は高原山を望み、野州の平野を見渡し、近くは大谷川の溪谷を見下す。日光より湯本まで六里の間、見晴しは、この名詮自性の見晴山にのみ在りて、單調を破る。舊道を一呼して下り、劍ヶ峯の茶屋に小憩す。日光の紅葉は、こゝの眺望を第一とす。今や眞盛りなるが、今年は秋になりて雨多かりし爲め、平年に比して色大いに劣れり。

 馬返より電車に乘り、東照宮の前にて下りて、板屋町の淨光寺に、田岡嶺雲の墓を訪ふ。遺骨の一半は故郷に葬らる。げに數奇の一生、殊に晩年は病魔に襲はれて、湯河原にゆき、熱海にゆき、この日光にも來りしが、終に起たず。日光の山は高く、華嚴の瀑は鋭く、大谷川は清くして急也。嶺雲の人格と文章とに彷彿たるものなしとせず。わけて日光は雷鳴のしげき處、嶺雲が熱烈の文字に思ひ及ぼして、うたゝ感慨に堪へず。

 裸男は、親戚の法事の爲に、この日歸京せざるべからず。夜光命に向つて、『君はゆる/\東照宮を見物し給へ』と云へば、『拜觀料の餘裕なし』といふ。日光を見ずんば結構を説く勿れとは、東照宮の事也。數年前、夜光命は、裸男と共に日光に來りたれど、東照宮を見る由なかりき。この度もまた東照宮を見る能はず。よく/\拜觀運のなき男哉。汽車に乘りて、辨當と酒とを買へば、あとは無一物、一杯機嫌に腹も張りて、あちらでもぐう/\、こちらでもぐう/\。

(大正五年)

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