白河の七日

4話 四 關山

1,283字 約3分 2019年3月6日 公開

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關山へとて、一同握飯を携へて往く。白河の青少年も四五人交れり。棚倉街道を取りて、合戰坂を上れば、右手は田にて、左手は山也。山麓に清水湧きて溜り、溢れてちよろ/\流る。その溜りに心太を冷し、傍らに腰掛臺を設け、心太を突出す道具を備へ、心太の價を書き出したるのみにて、番人は居らざるが、五六歳の頑是なき小兒、ちよこなんと坐り居りたりき。あはれ、世はこの小兒をも要せざるまでにならぬものにや。

 飴を賣る二人の朝鮮人と相前後す。いづれも白衣をふわりと着て、胸を露はし、脚をも露はし、屋根の付きたる箱を擔ひ、箱の蓋を叩き、異樣の聲を發しながら賣り歩く。東京にては見慣れたれど、このあたりには珍らしと見えて、小兒も大人もみな家より出でて之を凝視す。されど買はむとするものなし。凡そ半里に及びけるが、通りがゝりの一老人始めて之を買ふ。その爲に後れて、飴賣は我一行と別れぬ。

 足の勞よりは暑さに閉口しけるが、關山の麓に達し、これより僅か十八町と聞きて、勇氣また生ず。勇氣は生じたれど、暑さは山を上るにつれて、益甚し。男連は大小いづれも上半身裸になりて、相前後す。肥あり、瘠あり、黒あり、白あり、宛然一幅の南洋土蠻行列の圖也。一僧、上より來りけるが、目を光らしてじろ/\一行を見ながら下りゆく。門に至りて、ほつと一と息つき、みな着物を着て、僧坊の傍らを過ぎて行けば、鐘樓あり。白河の一青年先づ之を撞けば、他の青少年もみな撞く。斯く遊人に撞かせて錢を取らざるは、京都奈良あたりでは見られざる所也。本堂は絶頂に在り。而して四方の眺望開けたり。この山、白河附近にては最も高く、且つ孤立して、十數里四方の地、一眸の中に收まる。故關蹟も見ゆれば、南湖も見え、阿武隈川も見え、白河市街の一部も見え、那須山も、旭嶽も、八溝山も、羅漢山も、搦山もすべて見ゆ。而も本堂は思ひの外偉大也。寺を滿願寺と稱す。聖武天皇御祈願の額さへ藏して、世にも古き名刹也。

 僧坊に就いて午食す。傍らに一株の欅あり。大さ數圍に及ぶ。山中唯一の大木也。欅の側を下れば、水湧きて溜る。此の孤立せる小山の頂上近き處に、斯くも多く水涌かむとは思ひがけざりき。

 この日、關山の裏路を下り、われ案内者となりて、再ひ故關蹟を訪へり。なほ白河滯在中、石岡忠藏氏を始め、人々に乞はるゝ儘に、惡筆を揮へり。又乞はるゝ儘に、青年を中心としたる人々の爲に、實業高等女學校の講堂に訥辯を揮へり。郡長丸野實行氏、町長藤田新次郎氏を始め、有志の人々に招かれて、圓妙寺湖畔に飮めり。鹿島神社に詣でたり。白河城址を訪へり。友月山公園に上れり。樂翁公が、『春毎に花の小蝶となりてだに櫻の山の春や訪はまし』と詠じける櫻山に、唯一株殘れる巨櫻を訪へり。此の歌の碑を藤田氏の庭に見たり。白河の地、山水秀麗、奧羽の京都とも稱すべきか。櫻山一帶の地、白河中の別世界にて、會津の山川將軍曾て別莊を設けたりと聞く。別莊地に適する處也。斯く勝地多く、尚ほ他に舊蹟も多きが中に、余は特に南湖、感忠銘、關山、白河故關蹟、甲子温泉を擧げて、白河の五大勝と云はむとする也。(大正七年)

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