素戔嗚尊

13話 十三

1,137字 約2分 1999年8月27日 公開

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 その間もあの快活(かいかつ)な娘の姿は、絶えず素戔嗚(すさのお)の心を領していた。殊に時たま部落の内外で、偶然彼女と顔を合わせると、ほとんどあの山腹の(かしわ)の下で、始めて彼女と()った時のように、訳もなく顔が熱くなったり、胸がはずんだりするのが常であった。が、彼女はいつも取澄まして、全然彼を見知らないかのごとく、頭を下げる容子(ようす)も見せなかった。――

 ある朝彼は山へ行く途中、ちょうど部落のはずれにある()()の前を通りかかると、あの娘が三四人の女たちと一しょに、水甕(みずがめ)へ水を()んでいるのに()った。噴き井の上には白椿(しろつばき)が、まだ(まばら)に咲き残って、絶えず湧きこぼれる水の水沫(しぶき)は、その花と葉とを()れる日の光に、かすかな(にじ)を描いていた。娘は身をかがめながら、苔蒸(こけむ)した井筒(いづつ)(あふ)れる水を素焼(すやき)(かめ)へ落していたが、ほかの女たちはもう水を()()えたのか、皆甕を頭に載せて、しっきりなく飛び()(つばくら)の中を、家々へ帰ろうとする所であった。が、彼がそこへ来た途端(とたん)に、彼女は(ひん)()く身を起すと、一ぱいになった水甕を重そうに片手に下げたまま、ちらりと彼の顔へ眼をやった、そうしていつになく、人懐しげに口元へ微笑を浮べて見せた。

 彼は例の通り当惑しながら、ちょいと挨拶(あいさつ)点頭(じぎ)を送った。娘は水甕を頭へ載せながら、眼でその挨拶に答えると、仲間の女たちの(あと)を追って、やはり(くぎ)()くような燕の中を歩き出した。彼は娘と入れ違いに噴井(ふきい)の側へ歩み寄って、大きな(たなごころ)(すく)った水に、二口三口(のど)(うるお)した。沽しながら彼女の眼つきや唇の微笑を思い浮べて、何か嬉しいような、恥かしいような心もちに顔を赤めていた。と同時にまた(おのれ)自身を(あざけ)りたいような気もしないではなかった。

 その間に女たちはそよ風に領巾(ひれ)(ひるがえ)しながら、頭の上の素焼の甕にさわやかな朝日の光を浴びて次第に()()から遠ざかって行った。が、間もなく彼等の中からは一度に愉快そうな笑い声が起った。それにつれて彼等のある者は、笑顔を(うしろ)へ振り向けながら、足も止めずに素戔嗚の方へ、嘲るような視線を送りなぞした。

 噴き井の水を飲んでいた彼は、(さいわい)その視線に(わずら)わされなかった。しかし彼等の笑い声を聞くと、いよいよ妙に間が悪くなって、今更飲みたくもない水を、もう一杯手で掬って飲んだ。すると中高(なかだか)になった噴き井の水に、意外にも誰か人の姿が、咄嗟(とっさ)覚束(おぼつか)ない影を落した。素戔嗚は(あわ)てた眼を挙げて、噴き井の向うの白椿の下へ、(むち)を持った一人の若者が、のそのそと歩み寄ったのと顔を合せた。それは先日草山の喧嘩に、とうとう彼まで巻添(まきぞ)えにした、あの牛飼(うしかい)の崇拝者であった。

「お早うございます。」

 若者は愛想(あいそ)笑いを見せながら、(うやうや)しく彼に会釈(えしゃく)をした。

「お早う。」

 彼はこの若者にまで、狼狽(ろうばい)した所を見られたかと思うと、思わず顔をしかめずにはいられなかった。

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