素戔嗚尊

25話 二十五

1,117字 約2分 1999年8月27日 公開

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 洞穴(ほらあな)の中は広かった。壁にはいろいろな武器が懸けてあった。それが炉の火の光を浴びて、いずれも美々しく輝いていた。(ゆか)にはまた鹿(しか)(くま)の皮が、何枚もそこここに敷いてあった。その上何から起るのか、うす甘い《におい》が快く暖な空気に漂っていた。

 その内に食事の仕度が出来た。野獣の肉、谷川の魚、森の()()()した貝、――そう云う物が(さら)(つき)(うずたか)く盛られたまま、彼の前に並べられた。若い女は(ほたり)を執って、彼に酒を(すす)むべく、炉のほとりへ坐りに来た。目近(まじか)に坐っているのを見れば、色の白い、髪の豊な、愛嬌(あいきょう)のある女であった。

 彼は(けもの)のように、飮んだり食ったりした。盤や坏は見る見る内に、一つ残らず(から)になった。女は健啖(けんたん)な彼を眺めながら子供のように微笑していた。彼に刀子(とうす)を加えようとした、以前の慓悍(ひょうかん)気色(けしき)などは、どこを探しても見えなかった。

「さあ、これで腹は出来た。今度は着る物を一枚くれい。」

 彼は食事をすませると、こう云って、大きな欠伸(あくび)をした。女は洞穴(ほらあな)の奥へ行って、絹の着物を持って来た。それは今まで彼の見た事のない、精巧な織模様のある着物であった。彼は身仕度をすませると、壁の上の武器の中から、頭椎(かぶつち)(つるぎ)一振(ひとふり)とって、左の腰に結び下げた。それからまた炉の火の前へ行って、さっきのようにあぐらを()いた。

「何かまだ御用がございますか。」

 しばらくの後、女はまた側へ来て、ためらうような尋ね方をした。

「おれは主人の帰るのを待っているのだ。」

「待って、――どうなさるのでございますか。」

太刀打(たちうち)をしようと思うのだ。おれは女を(おびやか)して、盗人を働いたなどとは云われたくない。」

 女は顔にかかる髪を掻き上げながら、(あざやか)な微笑を浮べて見せた。「それでは御待ちになるがものはございません。私がこの洞穴の主人なのでございますから。」

 素戔嗚は意外の感に打たれて、思わず眼を大きくした。

「男は一人もいないのか。」

「一人も居りません。」

「この近くの洞穴には?」

「皆(わたくし)の妹たちが、二三人ずつ住んで居ります。」

 彼は顔をしかめたまま二三度頭を強く振った。火の光、(ゆか)の毛皮、それから壁上の太刀(たち)(つるぎ)、――すべてが彼には、怪しげな幻のような心もちがした。殊にこの若い女は、きらびやかな頸珠(くびだま)や剣を飾っているだけに、余計人間離れのした、山媛(やまひめ)のような気がするのであった。しかし風雨の森林を長い間さまよった(のち)この危害の(おそれ)のない、暖な洞穴に坐っているのは、とにかく快いには違いなかった。

「妹たちは大勢いるのか。」

「十六人居ります。――ただ今姥が知らせに参りましたから、その内に皆御眼にかかりに、出て参るでございましょう。」

 成程(なるほど)そう云われて見れば、あの猿のような老婆の姿は、いつの間にか見えなくなっていた。

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