白花の朝顔

7話

5,032字 約10分 2011年12月28日 公開

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 が、妹分のために、苦にせまい。肉の薄いのは身代(しんしょ)()せたのではない。大人は評判の蓄財家で、勤倹の徳は、範を近代に垂るるといっても可いのですから。

 その証拠には、水騒ぎの最中へ、某雑誌記者、気忙(きぜわ)しそうで口早な痩せた男の訪問があり、玄関で押問答の上、二階へ連れて上ったのは……挿画(さしえ)何枚かの居催促、大人に取っては、地位転換、面目一新という、某省の辞令をうけて、区々たる挿画ごときは顧みなかったために債が迫った。顧みないにした処で、受合った義理は義理で、退引(のっぴき)ならず二階で、膝詰の揮毫(きごう)となる処へ、かさねて、某新聞の記者、こちらは月曜附録とかいう歌の選の督促で一足(おく)れたが、おくれただけ、なお怒ったように、階子段(はしごだん)を、洋袴(ずぼん)の割股で押上った。この(ふと)ったので、二階へ(ふた)をしたように見えました。

流行(はや)るんだなあ。」

 編輯、受附、出版屋、相ともに持込むばかりで、催促どころか、めったに訪問などされた事のない、兄弟子は、夜風を横外頬(よこぞッぽ)へ、げっそりと腹を空かして、

「結構ですな。」

 枯野へ霜がおりたような、豆府の土手の冷たいのに、押取(おっと)って、箸を向けると、

「およしなさい。」

 と酔とともに、ふらふらとかぶりを振って、

「牛鍋の湯豆府なんか、私の御馳走ではないのですから。……あなたのお頼みなさいました、そのお弟子さんですがね、内へおいでなさるんなら、この覚悟、ね、より以上かも知れませんから。お(ねぎ)や、豆府はまだしも、糸菎蒻(しらたき)だと思って下さいましね。お腹が冷たくなるんですから……お酒はあります。あ、私にも飲まして頂載。もう一杯(ひとつ)もっとさ。」

「いや驚いた、いけますなあ。」

「一生に一度ですもの。」

「え。」

「いいえ、二度です。婚礼の晩、飲みましたの。酔いましたわ。」

「乱暴だなあ。しかし、痛快だ。お酌をするのも頂くのも、ともに光栄です。」

「お兄上。」

「…………」

「おほ、ほ。ああ酔った。私……お兄上にあたる方にお酌をさして罰が当る。……前に、あなたが、まだ、先生のお玄関にいらっしゃる時分、私が時々うかがう(たび)に、駒下駄を直さして、ああ、勿体ない、そう思う、思う心は、口へは出ず、手も足も固くなるから、突張(つっぱ)って、ツンツンして、さぞ高慢に見えたでしょう。髪の毛一筋抜けたって、女は生命(いのち)にかかわります。置きどころもない身体(からだ)を、あなたの目に(さら)すんですもの、(なり)(ふり)もありはしません。文学少女とかいうものだって、鬼神に横道なしですよ。自分で卑下する心から、気がひがんで、あなたの顔が憎らしかった。あなたも私が憎いのね。――ああ、(のぶ)や(女中)二階で手が鳴る。――虫が(うるさ)い。この()を消して、隣室(となり)のを()けておくれな。」

 その間、頸脚(えりあし)が白かった。振仰向(ふりあおむ)くと、(ほっ)と息して、肩が揺れた、片手づきに膝をくねって、

「ああ、酔って来た、境さん、……おいらんとは。お(むつま)じい?……」

 と、バタリと畳へ手をつくと、浴衣の(つた)野分(のわき)する。

「何をいってるんです。」

「おいらんは何て方?……十六夜(いざよい)さん、三千歳(みちとせ)さん?」

「薄雲、高尾でございます。これでもそこらで、(すし)(つま)んで、笹巻(ささまき)の笹だけ(たもと)へ入れて振込めば、立ちどころに仙台様。――庭の(すすき)に風が当る。……

 ――寂しいな、お洲美さん、急に何だか寂しい気がする、仙台へ行ってしまわれては。」

「ですけどね、あの、ほかの世話はかまいませんけど、媒妁(なこうど)だけは、もう止してね。」

 と、眉が迫って見据えるのです。

「媒妁?」

「――名はいいますまい、売ッ子ですよ。私たちのお弟子なかまではありません。別派、学校側の花形で、あなたのお友だちの方に――わかりまして……私を、私をよ、嫁に、妻に世話しようとなすったのは誰方(どなた)でした。」

「そ、それは、しかし、勿論、何だ。別派、学校側の……(よし)。……その男が、私を通じて、先生まで申出てくれと頼まれたものだから……」

「お料理屋へ私をお呼び下すって……先生が、そのお話を遊ばしたんです。――境が橋わたしの口を、口を利いた、と一言……一言おっしゃるのを聞いた時、私、私……」

「お待ちなさい、待ちたまえ。――だから断ったから差支えないでしょう。」

「ええ、断りましたわ、誰があんな――あんな男に世話しようなんのって、私、あなたが、私あなたが。」

「そりゃ無理だ、そりゃ無理だ、お洲美さん、あなたが、あの男を好きだか、嫌いだか、私がそれを知るもんですか。」

「だって、だって、ちっとでも、私を、私を思って下すったら、怪我(けが)にもあんな、あんな奴に。」

「無理だ、そりゃ乱暴だ。」

「ええ、無理です、乱暴です。だから、私、すぐそのあとで、それまで人をかえ、手をかえ、話があるのを断っていた――よござんすか――私も、あなたが大嫌いな、一番嫌いな、何より好かない、此家(ここ)へ縁付いてしまったんです。ほ、ほ、ほ。」

 太白の糸を()んだように、白く笑って、

「乱暴でしょう。乱暴、乱暴だけど、あの一番嫌いな人を世話しようとした、その口惜(くやし)さに、世話しようとした人の、あなたですよ、あなたの一番嫌いな男の(とこ)へ縁についた。無理です、乱暴です。乱暴ですけど、あなたは、あなただって、そのくらいな著作をなさるじゃありませんか。」

「何にもいわない。――もう、朝顔の、ま、枕の時から、一言もないのです。私は坊主にでもなりたい。」

 お洲美さんは、《みは》っていた目を閉じました。そして、うなずくように俯向(うつむ)いた耳許(みみもと)石榴(ざくろ)の花のように見えた。

「私は巡礼……

 もうこの間から、とりあえず仙台まででも、奥州を巡礼してゆきたい気がするんです。まったくですわ。そういったら、内の女中ッたら、ねえ、あの、私のような(きたな)がり屋さんが、はばかりをどうするって笑うんですの。巡礼といえば、いずれ木賃宿でしょう、野宿にしたって、それは困るわね。でも、真面目ですよ、ご覧なさい――昨日(きのう)も上野の浄明院石占寺(いしうらでら)の万体地蔵様に、お参りをして、五百体、六百体と、半日、日の暮方まで巡りましたらね、(水木藻蝶(もちょう)。)いい名でしょう、踊のお師匠さんに違いないのです。(行年二十七)として、名を刻んだ地蔵様が一体、菅笠(すげがさ)を――ああ、暑い、私何だか目が霞む。――菅笠を。……めしていらっしゃるんなら、雨なり、露なり、取るのは遠慮だったんですけど、背中に掛けておいでなすったもんだから、外して、本堂へ持って行って、お布施をして、坊さんに授けて貰って来たんです。――これだって女です、巡礼しても、ちっとでも、形のいいように、お師匠さんのを――あの、境さん、菅笠を抱きました時に、何となく、今日ね、あなたがいらっしゃる気がしたんですよ――そ、それに二十七だとすると、もう五年生きられますもの。――押入なんかに(しま)っておくより、昼間はちょっと秋草に預けて、花野をあるく姿を見ようと思いますとね、萩も(すすき)も寝てしまう、紫苑(しおん)は弱し。……さっき、あなたのおいでなすった時ですよ、ちょうど鶏頭の上へ乗っけて見ましたの。そうすると、それがいい工合(ぐあい)に。」

 ああ、そうか、鶏頭か。春日燈籠(かすがどうろう)をつつんで、薄の穂が白く()に映る。その奥の暗い葉蔭に、何やら笠を(かぶ)った黒いものが立っていて、ひょろひょろと動くのが、ふと目に着いてから気にかかった。が、決意もなく、断行もない、坊主になりたいを口にするとともに、どうやら、破衣(やれごろも)のその袖が、ふらふらと誘いに来そうで不気味だった。

「見せますわ、見せましょうね。巡礼を。」

「大賛成です。」

「水木藻蝶さん、うつくしい人の面影ですよ。」

 どこで脱いだか、はッとたちまち、うす鼠地に(つた)を染めた、女作家の、庭の(おぼろ)の立姿は、羽織を捨てて、鶏頭の竹に添っていた。

 軽くはずして、今、手提(てさげ)に引返す。帯が、もう(ゆる)んでいる。さみしい好みの水浅葱(みずあさぎ)縮緬(ちりめん)に、(あし)の葉をあしらって、淡黄(うすき)の肉色に影を見せ、蛍の首筋を、ちらちらと(あか)く染めた蹴出しの色が、雨をさそうか、葉裏を冷く、(さっ)と通る処女風(むすめかぜ)に、蘆も蛍も(すすき)に映って、露ながら白い素足。

 二階の裏窓から漏れる電燈に、片頬を片袖ぐるみ笠を黒髪に(かざ)して、隠すようにしたが、蓮葉に沓脱(くつぬぎ)をひらりと、縁へ。

「ふらふらする。ちょっと歩行(ある)くと、ふらふらしますわ。酔っちまって。」

 と、元の座にくずれた。

「ああ私、何だか分らない。」

 ふう、と仰向(あおむ)けに胸の息づかい、()の蔦がくれの(ふくら)みを、ひしと菅笠で(おさ)えながら、

「巡礼に御報謝……ね。」

 と、切なそうに微笑んだ。

 電燈を背後(うしろ)にして、襟のうすぐらい、胸のその菅笠が、ほんのりと、(おぼろ)に白い。

「や、お洲美さん、失礼ですが、隠して下さい、笠を(とお)して胸が白い、乳が映る。」

「見えますか。」

「申すも(はばか)りだが、袖で隠して。」

「いいえ、いいえ。」

 おくれ毛が邪慳(じゃけん)に揺れると、頬が()せるように見えながら、

「嬉しい、胸が見えるんです。さ、遮るものなしに通った、心の記念(かたみ)に、見える胸を、笠を通して捺塗(なぞ)って見て下さい。その幻の消えないうちに。色が白いか何ぞのように、胡粉(ごふん)とはいいませんから、墨ででも、(しぶ)ででも。」

「雪が一掴(ひとつか)みあればいいと思う。」

「信や……絵の具皿を引攫(ひっさら)っておいで。」

「穏かでない、穏かでない、(さら)うは乱暴だ、私が借りる。」

 胡粉に筆洗を注いだのですが。

画工(えかき)でないのが口惜(くやし)いな。」

「……何ですか蘭竹なんぞ。あなたの目は(とお)りました、女の乳というものだけでも、これから、きっと立派な文章にかけるんです。」

 ――以来、乳とかく時は一字だけも胡粉がいい――

 と咄嗟(とっさ)に思って、手首に重く、脈にこたえて、筆で染めると、解けた胡粉は、ほんのりと、笠よりも()に響き、雪を円く、暖かく、肌理(きめ)滑らかに装上(もりあが)る。色の白さが()陽炎(かげろう)

「ああ、ああ、刺青(ほりもの)ッて、こんなでしょうか。」

 居ずまいの乱るる(はだ)に、(くれない)点滴(したたり)は、血でない、蛍の首でした。が、筆は我ながら(メス)より鋭く、双の乳房を、驚破(すわ)切落したように、立てていた片膝なり、思わず、《どう》と尻もちを()いた。

 お洲美さんは、うっとり目を()き、膝を(すべ)って、蹴出しを隠した菅笠に、(ふたつ)の白いものを()て、(くすぐ)ったそうに、そッと撫でて、

「……熱いわ――この乳も酔っている……」

 と、いって寂しく微笑(ほほえ)んだ。

「人目があります。これでは巡礼して、肌を(さら)しては、あるかれませんね。ぽっちり薄紅を引きましょうか、……まあ、それだと、乳首に見えようも知れません。」

 浅葱(あさぎ)の絵の具を取って、線を入れた。白雪の乳房に青い静脈は(うね)らないで、うすく輪取って、双の大輪の朝顔が、面影を、ぱっと咲いた。

 (つる)を引いて、葉を添えた。

「うまいなあ、大野木夫人。」

「知らない。――このくらいな絵は学校で習います。同行二人(どうぎょうににん)――あとは、あなた書いて下さいな。」

「御意のままです、(かしこ)まった。」

「薄墨だし……字は余りうまくないのね。」

「弘法様じゃあるまいし、巡礼の笠に、名筆が要りますか。」

「頂くわ、頂きますわ。」

 と、(かぶ)ろうとする。

「お、お待ち下さい。――二階が余り(しずか)です。気障(きざ)をいうようだが……その上になお、お(ぐし)が乱れる。」

可厭(いや)な、そんな事は、おいらんに。」

「ああ、坊主になります。」

 首を縮めた。

「ちょうどいい、坊主が(かぶ)って見せましょう。」

 と、魔がさしたように、いや、仏が導くように、笠を被ると、笠の下で、笠を被った、笠の男が、笠を被って、ひとりでに、ぶらぶらと歩行(ある)き出したのです。

 中の()から、玄関へ、式台へ、土間へ、格子へ。

 ハッと思わず気が着いたが、

「お洲美さん、貰って()きます。」

 我知らず声が出ました。

「あれ、奥様。」

 女中が飛出す。

 お洲美さんは、式台に一段(つまず)きながら、(つま)を投げて、障子の桟に(すが)ったのでした。

 ぶつぶつと、我とも分かず、口の(うち)で、何とも知らず、覚えただけの経文を(つぶや)き呟き、鶯谷から、上野の山中を《さまよ》って歩行(ある)いた(はて)が、夜ふけに、清水の舞台に上った。そうして、朱の扉の端に片よせて、紅緒(べにお)をわがね、なし得る布施を包んだ手帖(ノオト)の引きほぐしに、

大慈のお ん心にまかせ三界迷離の笠一蓋(いちがい)

よしなにおん(はから) いのほど奉願上候(ねがいあげたてまつりそうろう)

                ……()   巡礼者

  当御堂 お執事中               礼拝

 舞台を下りると、いつか緒の解けたのが、血のように(まつ)わって、生首を切って来たように見えます。秋雨がざっと降って来る。……震え、震え、段を戻って、もう一度巻込んで、それから、ひた走りに、駆出しましたが。

 お洲美さんは――水木藻蝶の年も待たず、三年めに、産後で(はかな)くなりました。

「その紅緒なんです。その朝顔の笠、その面影なんです。――」

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