坊つちやん「遺蹟めぐり」

8話 〈下〉 一 杉並木は石手川堤

1,039字 約2分 2024年2月9日 公開

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 松下君の二階に休んで居ると愛媛新報の兵頭(ひやうとう)君といふのが来て案内乍ら道後の予の今夜の宿まで送らうといふ好意を提供された。その実ありもせぬ小説中の出来事を実地の上に実しやかに尋ねありく大だわけの漫画家といふ奴と同行して、明日の新聞の穴埋記事を作らうといふ魂胆は眼つきで知れた。けしからぬ。さり乍ら又一方名士扱ひにされて万更で無い気持ちもある予は一方迷惑のやうな一方感謝のやうな合の子な態度を示して頗る応揚に『それはどうもご苦労ですな。では兎も角も願ひましようか』と云つた。そして自分で嫌味を感じてぞく/\と悪感を催した。

 往来に打水して町の軒並に蚊柱の立つ松山の町はその基調には、たとへ、旧お城下といふ燻しがかゝつて居るとは(いへど)、決して酸性の刺戟を伴はぬ明るい四国の町の黄昏の一である事を否み能はぬ。明快を加へた洒脱の篩を漉して美しく暮れて行く。

 町を通り抜けると監獄の高い塀がある。片側は畑。行くと森の茂みに入る。夕暮の木下闇を溜り水の反射が銀針の如く貫いて眼を射る。湿ぽい深緑の葉の隧道(トンネル)。此処は既に石手(いして)川の堤の取り付きだ。三人は堤の上へ上る。三人の姿は僅に略筆にて沿へられた点景人物程に蔑視されて仕舞ふ程、雄大な欅の並木が続く。暗緑の威圧が浴衣の肩に重く当る。坊つちやんが山嵐と一しよに泊り込みから帰り行く赤シヤツ野だとを追ふて退治て仕舞つた杉並木といふのを推測すると、どうもこの石手川堤の欅並木より外に無い。文中には説明して『温泉()の町を外れると一丁許りの杉並木があつて左右は田圃になる。それを通りこすとここかしこに藁葺があつて、畠の中を一筋に城下迄通る土手へ出る。』とあるが道後より松山へ行く土手は石手川堤が唯一にして無二だ。遺憾乍ら杉並木は無いが温泉の町より帰朝(きぬ/″\)の別れを告げて帰る赤シヤツ野だとを存分になぐる場所を求めて誰しもこの欅並木を見逃すものは無からう。若し此所と決めれば赤シヤツ野だも両人の腕白の手に小付かれて(さぞ)この欅の幹の石のやうな瘤に頭を打付けて痛がつた事ならんと痛快に思ふ。土手の両側にはところ/″\舌切雀の御宿のやうな藁葺と竹藪とがある。藁葺の庭では家族の者が竹細工を編んでる。

 それから間の空地では木賊(とくさ)のやうにだんだらに染め分けた糸を張つてかみさんや子供が手で操つて居た。伊予がすりを作るのなそうな。今朝遅く起き朝昼兼帯の飯で済したむくひは土手で腹が減つた。紅の塗つた薄皮餅を買つて食ひ乍ら歩るいて行つた。兵頭君がにやりと笑つて手帳の鉛筆の尖を甞めた。

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