雪柳

7話 六(2)

933字 約2分 2012年10月13日 公開

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 小山直槙は、時に盃をあらためて、

「私は、まるで知らなかった――同郷です、あなたは大方、ご存じでしょう。」と云った。

 筆者(わたし)も更に知らなかった。

「ちっとも知りません。聞いたこともありません。」

「妙ですな、お国ものが誰も知らないで、隣りの能登の田舎の方で知っている。もっとも、その時、間淵の尼の話した処では、加賀の安宅(あたか)の方から、きまって、尼さんが二人づれ、毎年のように盂蘭盆(うらぼん)の頃になると行脚をして来て、村里を流しながら唄ったので、ふしといい、唄といい、里人は皆涙をそそられた。娘たちは、袖を絞ったために今もなお、よくその説句(もんく)を覚えていると、云って聞かせました。心中の命は卯辰山に消えたが、はかない魂は浮名とともに、城下の町を(はばか)って、海づたいに波に流れたのかも知れません。――土地に縁のある事は、能登屋仁平(にへい)、というのです。いや、不義ゆえの心中の、それは年とった本夫で、その若い女房と、対手(あいて)が若年の侍です――

 ――是非と望んで、これは私が聞きました。尼婆さんの(ほか)饒舌(おしゃべり)には弱らされたが、これだけは、もう一度、また一度と、きかせて貰った。調子に乗ると、手拍子が張扇子(はりおうぎ)になって、しかも自己流の手ごしらえ。それでもお惣菜の卯の花だ、とお孝の言訳も憎くない。句切だけぐらいだけれども、娘の鼓の手が入ったのです。が説くぞ、説きます、という尼婆さんの口説節(くどきぶし)が、あわれに、うらがなしく、昔なつかしく、胸にしみて、ぞくぞく心を(ゆす)って、その癖、一本松が、かっと血を()かして、火のように酔って()く。

 さんざ浮かれた折ばかり、酔いしれるとは限りません。はかない、悲しい、あるいは床しい、上品な唄、踊、舞を見て、魂とともに、とろとろに酔って行く。……あの(かたち)で。……あでやかな鬼の舞を()ながら、英雄が酔っぱらった例もあります。いや、いつかの間淵の話じゃないが、蟻の細工までにも到らない、箸けずりの木彫屋が、余五将軍をのみなかまに引込んだ処は、私も余程(よっぽど)酔いました。――ま、ま、あなたへ、一杯(ひとつ)。」

 閑静な席で、対坐に人まぜせぬ酒の中に、話がここへ来たころは、その杯を受けた筆者(わたし)(えい)が廻った。この筆者の私と、談者の私と、酔った同士は、こんがらかっても、修理(すじ)(さば)くお手際は、謹んで、読者の賢明に仰ぐのである。

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