14話 古事記 上つ卷 序并はせたり 〔八千矛の神の歌物語〕
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この八千矛の神一、高志の國の沼河比賣二を婚はむとして幸でます時に、その沼河比賣の家に到りて三歌よみしたまひしく、
八千矛の 神の命は、
八島國 妻求ぎかねて、
遠遠し 高志の國に
賢し女を ありと聞かして、
麗し女を ありと聞こして、
さ婚ひに あり立たし四
婚ひに あり通はせ、
大刀が緒も いまだ解かずて、
襲をも いまだ解かね五、
孃子の 寢すや六板戸を
押そぶらひ七 吾が立たせれば、
引こづらひ 吾が立たせれば、
青山に 《ぬえ》八は鳴きぬ。
さ野つ鳥 雉子は響む。
庭つ鳥 鷄は鳴く。
うれたくも九 鳴くなる鳥か。
この鳥も うち止めこせね。
いしたふや一〇 天馳使一一、
事の 語りごとも こをば一二。 (歌謠番號二)
ここにその沼河日賣、いまだ戸を開かずて内より歌よみしたまひしく、
八千矛の 神の命。
ぬえくさの一三 女にしあれば、
吾が心 浦渚の鳥ぞ一四。
今こそは 吾鳥にあらめ。
後は 汝鳥にあらむを、
命は な死せたまひそ一五。
いしたふや 天馳使、
事の 語りごとも こをば。 (歌謠番號三)
青山に 日が隱らば、
ぬばたまの一六 夜は出でなむ。
朝日の 咲み榮え來て、
綱の一七 白き腕
沫雪の一八 わかやる胸を
そ叩き 叩きまながり
眞玉手 玉手差し纏き
股長に 寢は宿さむを。
あやに な戀ひきこし一九。
八千矛の 神の命。
事の 語りごとも こをば。 (歌謠番號四)
かれその夜は合はさずて、明日の夜御合したまひき。
またその神の嫡后須勢理毘賣の命、いたく嫉妬み二〇したまひき。かれその日子ぢの神二一侘びて、出雲より倭の國に上りまさむとして、裝束し立たす時に、片御手は御馬の鞍に繋け、片御足はその御鐙に蹈み入れて、歌よみしたまひしく、
ぬばたまの 黒き御衣を
まつぶさに 取り裝ひ二二
奧つ鳥二三 胸見る時、
羽たたぎ二四も これは宜はず、
邊つ浪 そに脱き棄て、
鳥の二五 青き御衣を
まつぶさに 取り裝ひ
奧つ鳥 胸見る時、
羽たたぎも こも宜はず、
邊つ浪 そに脱き棄て、
山縣二六に 蒔きし あたねつき二七
染木が汁に 染衣を
まつぶさに 取り裝ひ
奧つ鳥 胸見る時、
羽たたぎも 此しよろし。
いとこやの二八 妹の命二九、
群鳥の三〇 吾が群れ往なば、
引け鳥三一の 吾が引け往なば、
泣かじとは 汝は言ふとも、
山跡の 一本すすき
項傾し三二 汝が泣かさまく三三
朝雨の さ三四霧に立たむぞ。
若草の三五 嬬の命。
事の 語りごとも こをば。 (歌謠番號五)
ここにその后 大御酒杯を取らして、立ち依り指擧げて、歌よみしたまひしく、
八千矛の 神の命や、
吾が大國主。
汝こそは 男にいませば、
うち《み》る三六 島三七の埼埼
かき《み》る 磯の埼おちず三八、
若草の 嬬持たせらめ三九。
吾はもよ 女にしあれば、
汝を除て四〇 男は無し。
汝を除て 夫は無し。
文垣の ふはやが下に四一、
蒸被 柔が下に四二、
被 さやぐが下に四三、
沫雪の わかやる胸を
綱の 白き臂
そ叩き 叩きまながり四四
ま玉手 玉手差し纏き
股長に 寢をしなせ。
豐御酒 たてまつらせ四五。 (歌謠番號六)
かく歌ひて、すなはち盞結ひして四六、項懸けりて四七、今に至るまで鎭ります。こを神語四八といふ。
一 多くの武器のある神の義。大國主の神の別名。三八頁參照。
二 北越の沼河の地の姫。ヌナカハは今の糸魚川町附近だという。
三 男子が夜間女子の家を訪れるのが古代の婚姻の風習である。
四 ヨバヒは、呼ぶ義で婚姻を申し入れる意。サは接頭語。アリタタシは、お立ちになつて。動詞の上につけるアリは在りつつの意。タタシは立つの敬語。
五 オスヒをもまだ解かないのに。オスヒは通例の服裝の上に著る衣服。禮裝、旅裝などに使用する。トカネは解かないのにの意。
六 ナスは寢るの敬語。ヤは感動の助詞で調子をつけるために使う。
七 押しゆすぶつて。
八 今トラツグミという鳥。夜間飛んで鳴く。
九 歎かわしいことに。
一〇 イ下フで、下方にいる意だろう。イは接頭語。ヤは感動の助詞。
一一 走り使いをする部族。アマは神聖なの意につける。この種の歌を語り傳える部族。
一二 この事をば。この通りです。
一三 譬喩による枕詞。なえた草のような。
一四 水鳥です。おちつかない譬喩。
一五 おなくなりなさるな。
一六 譬喩による枕詞。カラスオウギの實は黒いから夜に冠する。
一七 同前。楮で作つた綱は白い。
一八 同前。アワのような大きな雪。
一九 たいへんに戀をなさいますな。
二〇 第二の妻に對する憎み。
二一 夫の神。
二二 十分に著用して。
二三 譬喩による枕詞。水鳥のように胸をつき出して見る。
二四 奧つ鳥と言つたので、その縁でいう。身のこなし。
二五 譬喩による枕詞。カワセミ。青い鳥。
二六 山の料地。
二七 アタネは、アカネに同じというが不明。アカネはアカネ科の蔓草。根をついてアカネ色の染料をとる。
二八 イトコは親愛なる人。ヤは接尾語。
二九 女子の敬稱。
三〇 譬喩による枕詞。
三一 同前。空とおく引き去る鳥。
三二 首をかしげて。うなだれて。
三三 お泣きになることは。マクは、ムコトに相當する。
三四 眞福寺本、サに當る字が無い。
三五 譬喩による枕詞。
三六 このミルは、原文「微流」。微は、古代のミの音聲二種のうちの乙類に屬し、甲類の見るのミの音聲と違う。それでる意であり、ここはつているの意有坂博士で次の語を修飾する。
三七 シマは水面に臨んだ土地。はなれ島には限らない。
三八 磯の突端のどこでも。
三九 お持ちになつているでしよう。モタセ、持ツの敬語の命令形。ラ、助動詞の未然形。メ、助動詞ムの已然形で、上の係助詞コソを受けて結ぶ。
四〇 汝をおいては。
四一 織物のトバリのふわふわした下で。
四二 あたたかい寢具のやわらかい下で。
四三 楮の衾のざわざわする下で。
四四 叩いて抱きあい。
四五 めしあがれ。奉るの敬語の命令形。
四六 酒盃をとりかわして約束して。
四七 首に手をかけて。
四八 以上の歌の名稱で、以下この種の名稱が多く出る。これは歌曲として傳えられたのでその歌曲としての名である。この八千矛の神の贈答の歌曲は舞を伴なつていたらしい。