深夜の市長

9話

5,595字 約11分 2010年11月15日 公開

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 それから「深夜の市長」と僕との奇妙な道行が始まった。彼は三月二十九日夜の殺人事件を解くのだと称していたが、なにをするのかと思っていると、大通りへ出るなり、そこに通りかかった空のトラックの方を向いて手をあげた。するとトラックは、驚くべき素直さをもって、大急ぎでブレーキをかけ僕たちをすこし通りすぎたところで停車したのだった。

「亀沢町まで頼むよ」

 と「深夜の市長」が何か変な手真似をしながら声をかけると、運転手は黙って肯くのであった。だが僕は、その運転手が敬虔な眼眸(まなざし)をもって「深夜の市長」に対するのを見遁がしはしなかった。――僕等はトラックの後へ攀じのぼった。

 向きを変えたトラックが亀沢町へ入りこむと、老人は合図をして車を停めさせた。

「廻り路をさせて済まなかったな」

 老人の挨拶は若々しかった。運転手は何か云いたげに唇をモゴモゴ動かしたが、遂に一言も発しなかった。ただ前と同じような敬虔(けいけん)眼眸(まなざし)で老人を見送るばかりだった。

「深夜の市長」は、そこに佇立して走りゆくトラックを眺めている僕を促して、ドンドン明るい街の方へ引張っていった。

「いよいよやって来たぞ」と老人は僕のオーヴァを抑えた。

「ええッ。……」

「さあ、向うの角に見えるのが、明治昼夜銀行の亀沢支店だ。そこへ行って、支店長を呼んで貰ってなるべく小さな声で――ちょっと用事が出来ましたから、恐縮ですがお願いいたします……と丁寧に云うんだよ。それから一つ、これを頸にかけていってくれ。……」

 といって「深夜の市長」は、僕の頸に、なにか頸飾りのようなものを懸けてくれた。驚いて手で触ってみると、それは細い黒い紐で、ただ胸に当るところになにか鍵のようなものが下っていた。よくよく見ると、それは美しい翡翠で、風変りにも太短い鍵の形を彫ってあった。どうやらそれは何かの信号を先方へ伝えるものらしく思われた。

 僕は半信半疑で、昼夜銀行の扉を押した。

 銀行の中はまだ宵のうちのせいか、だいぶん混み合っていた。どこに支店長がいるのかと、僕は帳簿が沢山並んだ間に点在する銀行員を見廻した。すると室の中央に突立っていた年配の人物が、こっちを向くや否や、手招きをしながら、ツカツカと高い応接台のところへ出て来た。僕は彼が支店長だなと悟った。

「……ちょっと用事ができまして、お願いしたいというんですが……」

 と、面羞(おもはゆ)い言葉を支店長の耳に囁くと、

「畏りました。只今参りますとお伝えを……」

 支店長は僕の胸に揺めいている翡翠の鍵に向って慇懃に挨拶をした。あまりうまく事が搬ぶので、僕はむしろ呆気にとられた程だった。

 外へ出てみると「深夜の市長」は最前の位置で、じッと待っていた。

「まことにお待たせを……」

 と、裏口から出てきたらしい支店長を見ると「深夜の市長」はニコニコしながら二、三歩近づき、

「早速ですが、二十九日の午後七時五十一分頃に、貴方のお店から新しい十銭白銅貨を沢山受取っていった男がなかったでしょうかね」

「はッ。十銭白銅を沢山に……二十九日の午後七時五十一分でございますか。はアて、当行に於きましては左様なお客様がお見えになりませんでした」

「そうかネ。いや、どうもお忙しいのに済みませんでした」

 ぶっきら棒な挨拶をし終ると、「深夜の市長」はすぐさま僕のオーヴァを引張って、また歩きだすように信号した。

 それは実に妙な光景だった。りゅうとした支店長と汚い服装をした「深夜の市長」とが相対して、変な問答をするところは、まるで芝居の舞台を見るような気がした。それにしても、例の飾り気ない調子でぶっきら棒な物の言い方をするのを横から聞いていると、この老人にはどことなく冒しがたい威厳が備っているようであった。「深夜の市長」の綽名はその辺から来たのかもしれないが、とにかく怪しみても余りある人物だと云わなければならない。僕は「市長」の素性に、ますます深い興味を覚えた。

 それから老人は、またトラックを呼びとめて、今度は大川を渡って、小伝馬町の支店へ馳らせた。そしてまた僕に、同じような使いをさせた。須田町支店、上野支店、金杉支店という順序に、同じような順礼が続いたが、どこでも同じ質問を発し、そして同じような答を受取った。しかし老人は一向失望する様子もなく、昼夜銀行の順礼を続けるのであった。二十九日の午後七時五十一分に、沢山の十銭白銅貨を受取っていった男……を一体何処でうまく探しあてることができるのであろうか。

 僕がすこし疲れを催して来た様子を見たのか、「深夜の市長」は自らすすんで、一昨夜、横川町四丁目の油倉庫に起った火事について語りだした。

「……いいかネ。火事場に転がっていた片腕というのは、右の腕だったよ。二人ばかり見た奴があったが、どっちの云うこともピッタリ合っていたから信用してもいい。その右腕は倉庫の水道口のところに転がっていて、明るい余燼の火を浴びているのが見えたのだが、そこはやはりプスプス燃えている焼け跡の中だから、踏みこんでいっては取れない。何か棒切れはないかというので、二人が一寸場を外して探しにいった後で、どうなったのか見えなくなってしまったのだ。うまく取出せば、これはまた面白いことになったがまことに残念だ。しかしその片腕については、もう一つ、面白い話がある。その手の指が四本しかなかったのだ。欠けているのは拇指だった。この指だ。……」

 といって「深夜の市長」は自分の拇指を目の前へ出して、ピクピク動かせて見せたのち、それを鼻へ持っていって例の癖をスーッと鮮かにやってのけた。

「……拇指のない右腕が、あの火事場に転がっていた。そしていつの間にか見えなくなった。しかも焼け死んだ人間の心当りはないというのだから、面白い話じゃないか」

「それは、また下に落ちて燃えだしたか、それとも別の人が持っていったか、どっちかでしょうね」

 と、僕は次第に興奮を感じながら口を挟んだ。

「そうだ。そのどっちかだろう。ところが現場をいくら探しても、右腕の骨は見当らなかった。尤も他の骨も見当らなかったのだ。だからもともと腕だけが投げこんであったものか、それとも身体全体があって腕だけ焼け残っていたのか分らないが、とにかく油倉庫の火事のことだ。うまく真中のところで焼けると、人骨なんか粉々になって、形を止めないだろう。それはこの頃の火葬場のように、重油を使って焼いた屍体を見るがいい。実によく焼けているからねえ。あれをもっと火力を強くすることは訳はないのだ。そのとき人骨は粉々になってしまうだろうと想像するのは、これは容易なことだろうじゃないか、ねえ君」

「はア……。そうですねえ」

「いや思わず演説しちまった。儂は昔、雄弁大会というのを聞いたことがあったのでねえ。はッはッはッ」

「深夜の市長」は笑ったが、その笑いは妙な含羞(はにかみ)の響きを持っていた。僕の方はすこしも笑うことができなかった。その理由は、誰にも分ってくれるだろう。……

 遂に「深夜の市長」がその夜の順礼に凱歌(がいか)をあげたのは、出発地とは途方もない見当外れの、T市の反対側に位するところの明治昼夜銀行目黒支店だったのである。――頭髪を短かく刈りこみ、色眼鏡をかけた目黒支店長は、屋台寿司の出てくる薄暗い横丁で大袈裟に驚きの様子を現わしながら、ハッキリ応えた。

「……よく存じて居りますよ。なにしろその時、実にうまく行ったのでございます。二十九日のたしか午後七時五十一分ごろ、もう店を仕舞うちょっと前のことでございますナ、お客様がお見えになりまして、手前の店払渡しの小切手九十九円八十銭というのを払出していらっしゃいましたが、九円八十銭だけはニッケル貨で、それも新しいのを呉れと仰有いました。ところがそれより十分ほど前に、別のお客様が見えまして、紙幣の外に新しいニッケル貨を八円ばかり交ぜて預けていらっしゃったのがありました。その前のお客さまは、新しいニッケルをバラのままお出しになり、それからわざわざ手前の店に備えつけの貨幣を包みます紙がございますが、それを御請求になってご自分でお包みになって、預けていらっしゃったのでございます。それが四本の棒包みになりましたが、後のお客様にその四本で八円の外に、別にバラでございました一円八十銭を添えまして差上げましてございます」

「それは面白いなア」と「深夜の市長」は盛んに例の小鼻を引張る癖をくりかえしくりかえし発揮しながら、「つまり、四本の二円棒包みに、バラで一円八十銭のニッケル貨幣を持っていったんですね。どうです。その人はどんな風体をしていましたか」

 ――背広服で、背は高い方、年齢は三十になるかならずか、色浅黒く、苦が味走った無髭、無眼鏡の逞しい男……と、支店長は一つ一つ思いだしながら答えた。

「何か手に特徴がなかったかネ。――」

 そう云った「深夜の市長」の声は、気のせいか少し上ずって聞えた。

「ああ、手です手です。そうです忘れて居りました。手と仰有ったので思い出しましたが、そのお客様はニッケル貨幣の棒包みを手帛(ハンケチ)の中に丸めてお収いになりましたがどこか様子が変なので、注意して見ていますと、お客様は左手ばかりを使って手帛の端を結んでいらっしゃるのです。実に器用なものでしたなア。……いえ、まだ話が(ござ)います。それから右手の方はどうなすったのかと、それとなく見ていますと、まあどうでしょうか、右手に拇指がないのです。つまり右手は拇指なしの四本指なんで……」

「ウむ……」と老人は呻った。横から聞いていた僕は「深夜の市長」が先刻話した拇指のない人間のことを想い出してハッとした。

「……それでナニかね……」深夜の市長は乗りだしながら、

「そのお客様は、右手の四本指を見せまいと気にしていたようだったかナ」

「いえ、そんな気配はありません。恥かしいともなんとも思っちゃいないようなようでした」

「大ぴらで四本指を見せていたんだと……ハテナ。それからもう一つ訊きたいことは、始めの方のお客様が棒包みを作る前に、そのニッケル貨幣はバラバラだったかね。それとも……」

「さあ、それはハッキリ覚えていませんが、こうっと……。そうです。なんでもそのお客様は小型の鞄をもっていらっしゃいまして、それを台の蔭でお開きになり、それからニッケルを取出されましたが、応接台の上に二十枚ずつキチンと積みあげたものを私どもの目の前にお並べになりました。つまりバラバラなところは見なかったように思いますが……」

「ああ、それでよく分った。どうも支店長さん、いろいろ済みませんでした。後は小切手の番号から振出人と裏書に書いた四本指の男の名前、それからその十分前にニッケルを預けていった男のことなどが伺いたいんだが、また何れ後からもう一度来ますから、それまでに調べて置いて下さいな。いや、どうも済みませんでしたね」

 そういって「深夜の市長」は、何遍も丁寧に頭を下げた。そして僕を促して、そこを立ち去ったのである。

「どうもお前さんにも、散々苦労をかけたが、これで用事は一と先ず済んだよ。だが苦労しただけあって、今夜の話はお前さんにも面白かったろう。ことに四本指の手のことなんかはネ」

 僕は「深夜の市長」と、目黒の通りを肩を並べて歩みながら、さっきから聞いてみたいと思ったことを遂に口に出した。

「驚きましたネ、貴方は。まるで名探偵のようじゃないですか。真逆、名探偵の化けたのじゃないでしょうね」

「はッはッ。変なことを云いっこなしだ」

「しかし貴方はどうして二十九日の夜の事件や、銀行を訪ねてまわって今の話のようなことを知りたがるのですか」

「知りたがるのは、儂の道楽なのじゃ。説明しろといったって、それ以上説明ができるものかね。だが、あの横丁の殺人事件、油倉庫出火事件、それにいまの銀行の話と、都合三つの真相さえ分ればお前さんも警察に追っ駆けられたりする心配がなくなるじゃないか」

「僕自身のことも、大変有難いですが、こうして考えてくると、今の三つの話はどうやらお互いに関係がありそうですね」

「そうかも知れないよ。どれ、腹が減ったが、その辺で、ワンタン屋の屋台でも見つけようじゃないか。権之助坂を下れば、どこかに店が出ているぜ。ほう、ひどく冷えてきやがった。……」

「深夜の市長」は寒そうに、鼻を無暗にこすった。

 丁度そのときのことだった。一台の空円タクが擦れ違いそうになったが、急にブレーキをかけて、ハタと僕等の側に止った。

「もし……」と運転手は老人の方に声をかけた。

「……」老人は臆する気色もなく、顔をその円タクの方に向けた。

「もうお聞き及びでござんしたら、お許しを蒙ります。先刻よりたいへんお探し申しているようでござります。お帰りならこの車がお供いたしとうござんす。いかがで……」

「ほう、探しているって」と「深夜の市長」はニヤニヤ笑いながら車に近づき、「何処だ、川の向うか」

「詳しいことは存じませぬが、手前は川の向うで言伝(ことづか)りましてござんす。……どうぞお乗りを」

「なにか事件が出来たらしいな。では乗せて貰おう。……どうだネ、お前さんも一緒に乗らんかな」と「深夜の市長」は僕の方をふりかえった。

「……いえ、僕はこの辺で失礼させて頂きます」

 実をいうと、その頃僕は「深夜の市長」疲れをしていた。最初は唯のルンペン親爺だと思って気軽に交際(つきあ)っていたが、その後、彼の後についてゆくと、あちらからもこちらからも大時代めいた丁寧な言葉で挨拶される。そういうところを見ていると僕はなんだか急に肩の凝りを覚えて来たのだった。

「深夜の市長」に聞きたいことは沢山あったが、精神的欝血が、僕を彼から引離した。僕は帽子をとって挨拶をした。

「では、ご機嫌よう。……」

 運転手の横に腰を下していた老人はニヤニヤと笑って、また一つ小鼻をツーンと前へ引張った。

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