10話 一〇 三本木
読み方を変える
九月五日、朝早く起き出でて、一二町隔たれる湯沼に赴く。くりぬきあり、棹もありたれば、棹してゆく。水は澄みたり。底は粘土らしく、棹しても濁らず。鯉や金魚の泳ぐを見る。林山四面を圍み、幽禽相和して鳴く。沼の廣さ七町。靈泉に加ふるに、この神仙の苑あり。唯地僻なるが爲に、世に知るもの稀れ也。
三本木へとて、出で立つ。耕一氏の父幸七氏、叔父善吉氏、門に送る。子の新吾氏、東北學院の學生なるが、余等と共にす。『山の神』も共にす。一人の男、一行の荷物を負へり。われ春汀との約に負きて、空しく待たさしむること三日。今日は、相逢ひて、罪を謝せざるべからざる也。
思ひがけずも、法奧澤村の有志者、われらを路に要し、一亭に延いて酒を侑む。村長の小笠原耕一氏を始めとし、鈴木敏夫、中山留五郎、相澤寧、小笠原松次郎、太田寛造、奧山東一、角田一、目時寛三、鈴木友記、東長五郎の諸氏、づらりと居竝ぶ。御話をうけたまはらむとて、上級の生徒を休ませて、引きつれたり。之を諾されよといふ。話す種はなけれど、いやとも云へず。生徒數十人來り竝ぶ。われ大いにまごつきぬ。如何なることをか、しやべりけむ。相澤寧氏は醫者にして、俳句をよくす、曉村と號す。日本派の俳人也。余を迎ふるの句をおくらる。珍らしや、今迄は、到る處、たゞ乞はれしのみなるに、受けたるは、これが始めて也。
こゝにて、春汀の書に接し、はじめて、天溪の兒の病死を知る。迎ひの馬車に乘りて三本木にいたる。『山の神』なほ在り。安野旅館に投ず。六日ぶりにて、春汀と相逢へる也。
この夜、一心亭に催せる三本木有志者の歡迎會に赴く。堺三木人、川崎新兵衞、岩館精素、大島市太郎の四氏發起人となり、畜産學校の校長高尾角太郎氏、その教員の佐藤、木場、板持、佐藤、久嶽氏、開墾會社社長の杉山克己氏、その社員の一戸義昂氏、その他、土屋廣氏、浪岡喜代松氏等、之に我等の一行、三浦氏、江渡氏、『山の神』も加はりて、凡そ二十餘人相會す。岩館氏歡迎の詞を述べ、余之に答ふ。大いに飮む。女中の外に、二三人の歌妓をも見うく。久氏は、同郷の人にして、第一高等中學校時代の學友なるが、幾んど二十年ぶりにて相逢へる也。