5話 五 巖上の酒宴
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十和田湖は、四面、山に圍まる。銀山、鉛山西にあり。東にありて最も高きは十和田山、南にありて最も高きは前山、北にありて最も高きは花部山也。大日本地誌に據るに、湖面は海拔四百五十米突、花部山は九百六七十米突なり。湖は北方最も廣く、岸の出入もなくして、幾んど半圓形をなす。東西凡そ三里、南は三大灣を爲す。東海、中海、西海、これ也。大さ、ほゞ相同じ。宇樽部は東海の南濱に在り。左に御倉半島の端に崛起せる御倉山を望み、左に十和田山を望み、前に花部山を望む。花部の右に二峰首を出す。西を乘鞍嶽と云ひ、東を赤倉山と云ふ。四周の山、すべて官有に屬す。樹木の盛んに繁れること、他に其の比稀れ也。みな落葉樹也。晩秋にいたれば、紅幕碧湖を圍む。同じ山湖にしても、この湖の大は、日光の中禪寺湖の三倍以上あり。路は湖をとりまきて通ず。凡そ十里。沿岸の長さは、十五里に達す。
三十一日朝、昨日の一行、船に乘りて、宇樽部を發す。春汀ひとり留る。持病の痔起りて、出血甚しきをも顧みず、勇を鼓してわれらの爲に山にのぼりけるが、この日一日は、靜養せむとすれば也。十和田の景は、その熟知せる所なれば也。舊知三浦泉八氏との話も多ければ也。
御倉山の端をめぐりて中海に入り、ゆく/\御倉半島の斷崖を仰ぐ。こゝは中海の東岸也。斷崖直ちに湖面に立ち、崖高く、水深し、且つ清し。兩手にてかゝへるばかりの石を、岸より崩して水に落し、俯して之を見るに、恰も魚の如く、ひら/\と沈みゆき、鯛大となり、鰯大となり、金魚大となり、終に見る能はざるに至る。船夫曰く、十和田湖中、此の中海が最も深し。曾て百尋の繩を下しけるに、水底に屆かざりきと。地理學者の説に據るに、十和田湖全體は、陷落より生じたるが、此の中海は、噴火口也と。日暮崎を始めとし、崖の突出せる者多し。崎といふよりも、むしろ巖といふべし。いづれもみな巨巖也。而もみな姫小松を帶ぶ。一窟あり。御室と稱す。窟中二條に別る。いづれも數間にして盡く。劍の如き小石の簇立せる岬を劍岩と云ひ、姫小松の林を成せる岬を千本松と云ふ。赤根崎よりは、斷崖赤色を主として、いろ/\の色を帶び、十數町も長く南に延びて、半空にかゝる一大長虹の如し。余はこの中海の東岸にありては、最も御倉山を取る。千尺の斷崖、西北より起り、南をめぐりて東に至り、一山をとりかこむ。長さ二十四五町もあるべし。此の如きは他に其の類を見ず。何か名あるかと問へば、無しといふ。千丈幕と名付けては如何にと云へば、みな可と稱す。百間幕なら、他にも多くあり。千丈幕は、御倉山の特色にして、かねて十和田湖の一特色也。この一大斷崖の爲に、人は陸地よりこの山に上る能はず。滿山みな樹、十和田湖畔、猿は、たゞこの山にのみ住む。秋晩木の實熟する頃は、群猿夜月に叫ぶ。賽者對岸の御占所に米を投じて祈祷するに、祭日には、白氣この山に上ると云ひ傳ふ。唯眺めたるのみにても、十和田湖畔、唯一の靈山也。
看て千本松に到りける時、日章旗をかゝげたる白帆來たる。これ休屋一村の人士が余等を歡迎する也。中海の南岸は、他の奇なし。西岸は、昨日舟にて見物したり。東岸に比すれば水淺し。斷崖の景致も、劣れり。直ちに最北端の巓に漕ぎつけて、一同之に上る。こゝに休屋一村の好意より成れる饗宴ひらかれたり。主人側は、織田與次郎、中村春吉、鈴木尚信、川村松五郎、栗山政治の諸氏也。主賓うち解けて、快く醉へり。こゝを中山崎と稱す。この半島全體を小中山と稱す。中海と西海とを隔つる小連峯也。宴罷んで、一同休屋の舟に乘りて、中海と別る。中海は、凡そ一方里、北は湖心に連なり、東西南の三方は斷崖と蒼樹とに取り圍まれたる、別天地中の別天地也。
西海に入りて、東岸近く舟を進む。忽ち、どぶんと水に入るものあり。祠官の織田氏也。主既に俑を作す、賓いかでか之に傚はずして止むべき。余之についで水に入る。三浦道太郎氏も泳ぐ。その他、數人同じく泳ぐ。この西海の東岸は、水、中海の東岸の如くには深からず。崎には、六方角の相竝べる處もあり。島多し。ぐみ島、蓬莱島、種ヶ島、鎧島、兜島、惠比須島など、これ也。大あり、小あり、高あり、低あれども、皆巖也。而していづれも姫小松を帶びざるは無し。松島には、この樹ありて、この巖なく、雄鹿半島には、この巖ありて、この樹なし。天下の風光、十和田湖ひとり其の美を擅にす。舟をすてて、白籠神社にいたる。數十丈の孤巖の上に在り。三たび鐵梯を攀ぢて、漸くにして達す。幾んど天に昇るの思ひあり。妙義の大字巖、旭日嶽にも、この奇なし。況んや水あるをや。
薄暮、織田氏の家に至る。江渡省三、鳥谷部良太、小平四郎、三浦一雄の四氏は、宇樽部さして歩して歸る。三浦道太郎氏、松原寅次郎氏、百穗及び余は、織田氏の好意のまゝに、その家にやどる。夜、宴また開かる。宴酣にして、歌聲樓外に起る。見れば、數十人圓くなりて踊り且つ歌ふ。これ盆踊にして、村民一同が余等の旅興を添へむとする也。