蟹工船

4話 三(2)

2,560字 約5分 2004年12月1日 公開

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 博光丸が元の位置に帰ってから、三日して突然(!)その行衛不明になった川崎船が、しかも元気よく帰ってきた。

 彼等は船長室から「糞壺」に帰ってくると、忽(たちま)ち皆に、渦巻のように取巻かれてしまった。

 ――彼等は「大暴風雨」のために、一たまりもなく操縦の自由をなくしてしまった。そうなればもう襟首(えりくび)をつかまれた子供より他愛なかった。一番遠くに出ていたし、それに風の工合も丁度反対の方向だった。皆は死ぬことを覚悟した。漁夫は何時でも「安々と」死ぬ覚悟をすることに「慣らされて」いた。

 が(!)こんなことは滅多にあるものではない。次の朝、川崎船は半分水船になったまま、カムサツカの岸に打ち上げられていた。そして皆は近所のロシア人に救われたのだった。

 そのロシア人の家族は四人暮しだった。女がいたり、子供がいたりする「家」というものに渇していた彼等にとって、其処(そこ)は何とも云えなく魅力だった。それに親切な人達ばかりで、色々と進んで世話をしてくれた。然し、初め皆はやっぱり、分らない言葉を云ったり、髪の毛や眼の色の異(ちが)う外国人であるということが無気味だった。

 何アんだ、俺達と同じ人間ではないか、ということが、然し直ぐ分らさった。

 難破のことが知れると、村の人達が沢山集ってきた。そこは日本の漁場などがある所とは、余程離れていた。

 彼等は其処に二日いて、身体を直し、そして帰ってきたのだった。「帰ってきたくはなかった」誰が、こんな地獄に帰りたいって! が、彼等の話は、それだけで終ってはいない。「面白いこと」がその外にかくされていた。

 丁度帰る日だった。彼等がストオヴの周(まわ)りで、身仕度をしながら話をしていると、ロシア人が四、五人入ってきた。――中に支那人が一人交っていた。――顔が巨(おおき)くて、赤い、短い鬚(ひげ)の多い、少し猫背の男が、いきなり何か大声で手振りをして話し出した。船頭は、自分達がロシア語は分らないのだという事を知らせるために、眼の前で手を振って見せた。ロシア人が一句切り云うと、その口元を見ていた支那人は日本語をしゃべり出した。それは聞いている方の頭が、かえってごじゃごじゃになってしまうような、順序の狂った日本語だった。言葉と言葉が酔払いのように、散り散りによろめいていた。

「貴方(あなた)方、金キット持っていない」

「そうだ」

「貴方方、貧乏人」

「そうだ」

「だから、貴方方、プロレタリア。――分る?」

「うん」

 ロシア人が笑いながら、その辺を歩き出した。時々立ち止って、彼等の方を見た。

「金持、貴方方をこれする。(首を締める恰好(かっこう)をする)金持だんだん大きくなる。(腹のふくれる真似(まね))貴方方どうしても駄目、貧乏人になる。――分る? ――日本の国、駄目。働く人、これ(顔をしかめて、病人のような恰好)働かない人、これ。えへん、えへん。(偉張って歩いてみせる)」

 それ等が若い漁夫には面白かった。「そうだ、そうだ!」と云って、笑い出した。

「働く人、これ。働かない人、これ。(前のを繰り返して)そんなの駄目。――働く人、これ。(今度は逆に、胸を張って偉張ってみせる、)働かない人、これ。(年取った乞食のような恰好)これ良ろし。――分かる? ロシアの国、この国。働く人ばかり。働く人ばかり、これ。(偉張る)ロシア、働かない人いない。ずるい人いない。人の首しめる人いない。――分る? ロシアちっとも恐ろしくない国。みんな、みんなウソばかり云って歩く」

 彼等は漠然と、これが「恐ろしい」「赤化」というものではないだろうか、と考えた。が、それが「赤化」なら、馬鹿に「当り前」のことであるような気が一方していた。然し何よりグイ、グイと引きつけられて行った。

「分る、本当、分る!」

 ロシア人同志が二、三人ガヤガヤ何かしゃべり出した。支那人はそれ等(ら)をきいていた。それから又吃(ども)りのように、日本の言葉を一つ、一つ拾いながら、話した。

「働かないで、お金儲(もう)ける人いる。プロレタリア、いつでも、これ。(首をしめられる恰好)――これ、駄目! プロレタリア、貴方方、一人、二人、三人……百人、千人、五万人、十万人、みんな、みんな、これ(子供のお手々つないで、の真似をしてみせる)強くなる。大丈夫。(腕をたたいて)負けない、誰にも。分る?」

「ん、ん!」

「働かない人、にげる。(一散に逃げる恰好)大丈夫、本当。働く人、プロレタリア、偉張る。(堂々と歩いてみせる)プロレタリア、一番偉い。――プロレタリア居ない。みんな、パン無い。みんな死ぬ。――分る?」

「ん、ん!」

「日本、まだ、まだ駄目。働く人、これ。(腰をかがめて縮こまってみせる)働かない人、これ。(偉張って、相手をなぐり倒す恰好)それ、みんな駄目! 働く人、これ。(形相凄(すご)く立ち上る、突ッかかって行く恰好。相手をなぐり倒し、フンづける真似)働かない人、これ。(逃げる恰好)――日本、働く人ばかり、いい国。――プロレタリアの国! ――分る?」

「ん、ん、分る!」

 ロシア人が奇声をあげて、ダンスの時のような足ぶみをした。

「日本、働く人、やる。(立ち上って、刃向う恰好)うれしい。ロシア、みんな嬉しい。バンザイ。――貴方方、船へかえる。貴方方の船、働かない人、これ。(偉張る)貴方方、プロレタリア、これ、やる!(拳闘のような真似――それからお手々つないでをやり、又突ッかかって行く恰好)――大丈夫、勝つ! ――分る?」

「分る!」知らないうちに興奮していた若い漁夫が、いきなり支那人の手を握った。「やるよ、キットやるよ!」

 船頭は、これが「赤化」だと思っていた。馬鹿に恐ろしいことをやらせるものだ。これで――この手で、露西亜が日本をマンマと騙(だま)すんだ、と思った。

 ロシア人達は終ると、何か叫声をあげて、彼等の手を力一杯握った。抱きついて、硬い毛の頬をすりつけたりした。面喰(めんくら)った日本人は、首を後に硬直さして、どうしていいか分らなかった。……。

 皆は、「糞壺」の入口に時々眼をやり、その話をもっともっとうながした。彼等は、それから見てきたロシア人のことを色々話した。そのどれもが、吸取紙に吸われるように、皆の心に入りこんだ。

「おい、もう止(よ)せよ」

 船頭は、皆が変にムキにその話に引き入れられているのを見て、一生懸命しゃべっている若い漁夫の肩を突ッついた。

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