南半球五万哩

50話 第六、欧州大陸紀行 五〇、ロンドン帰行、遺跡探検を継続す

1,564字 約3分 2011年10月25日 公開

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 十八日、晴れ。午前十時パリを発し、急行にてロンドンに向かう。フランスのジエップ駅とイギリスのニューヘブン駅との間の海峡は、汽船をもって連続す。船上にあること四時間なり。ニューヘブンにて税関の検閲を経てさらに乗車し、七時後、ロンドン・ビクトリア駅に着す。水谷、大場両氏のここに迎うるありて、ともに駅前の料理店に入りて会食し、これより自動車を雇いて、スタンフォードヒルなるサンマース氏宅に帰寓す。同氏は避暑のために、アイルランドおよびスコットランド地方に旅行して不在なり。ノルウェーのベルゲンよりロンドンに帰着するまで、二千八百五十八マイルを過了せり。英国は当時大ストライキの最中にして、ロンドンのごとき、その同盟に加わりて罷工せるもの十万人の多きに及べりという。これがために汽車の運動を休止せる所あり、物価もその供給を欠けるために騰貴をきたせり。各停車場内には兵隊の警備せるあり、あたかも戦場に入るがごとき形勢なり。しかれども、労働者の暴行なきは文明的罷工というべし。

 十九日、炎晴。ロンドンも四十日間降雨なきために炎暑はなはだしく、四十年来未経験の大暑なりという。午後、水谷氏とともに市外に至りて飛行機を一覧す。

昔し人よもや夢にも見ざりけん、羽根なき人の空かけるなり

 帰路、雷雨にあう。久旱のために草枯れ、木葉も枯死せんとするに際し、この膏雨あり。その喜びはひとり農民のみならんや。

 八月二十日(日曜)、晴れ。水谷、大場両氏とともに車行および歩行して、セント・ジャイルズ村落に至り、ミルトンコッテージを訪う。ミルトンは当時ロンドンの疫を避けてここに幽栖し、その間に傑作『パラダイス・ロスト』を完成し、さらに『パラダイス・リゲインド』を起草せりという。室内に遺書および遺物を保存す。

詩賢避疫臥孤村、一夢結成千万言、追慕遺風尋古屋、老婆為我説民敦。

(詩賢の人は疫病を避けてこの片田舎に臥し、ひとたびの夢むすびて千万言の書をなす。その遺風を慕ってこの古屋をたずねると、老婆は私のために民敦(ミルトン)について話すのであった。)

 この日、往復五十二マイルなり。帰路、雷雨にあう。生稲亭にて日本料理を会食して帰る。料理中に更科蕎麦を出だせるは意外なりき。

 二十一日、晴れ。二回の雷雨のために、気候にわかに秋冷を帯ぶ。郵船会社を訪いて根岸支店長に面会す。

 二十二日、晴れ。ロンドン北部ハイゲート墓地に至り、哲学大家スペンサー翁の墳墓に拝参す。墓石大ならず、なんらの装飾なく、自然に同翁の性格を示すもののごとし。翁の遺言により火葬に付し、遺骨をここにうずむという。所感の詩二首あり。

墓門一過路三旋、尋到荒墳独悵然、落葉蕭蕭天欲雨、秋風声裏吊前賢。

(墓門をすぎれば路は三たびめぐり、荒れた墳墓にたずね至って、ひとりうらみなげいた。落葉は散り天は雨ふらんとし、秋風の鳴るなかで賢者スペンサー翁をとぶらったのである。)

一生不娶避塵縁、心血凝成五大編、埋骨倫敦城北地、余光千載照黄泉。

(一生(めと)らず、俗世間の縁を避け、心血を結集して五大編を書きあげた。骨は倫敦(ロンドン)郊北の地に埋葬されて、ありあまる光輝は千年もよみじを照らすであろう。)

 帰路、牧野義雄氏をその僑居に訪う。氏自筆のテムズ川の月夜の景を示されたるにこたえて、拙作を贈る。

君在英京耕画田、常揮妙手感神仙、廷無河上朦朧月、忽放清輝照大千。

(君は英京にいて画の修業をし、常にすぐれた腕をふるって神仙をも感心せしめている。廷無(テムズ)河のほとり、光もぼんやりとした月、それがたちまち清らかに輝き広大無辺の世界をてらすのである。〈君の画業もまた、やがてはこの月の光のごとく輝くことであろう。〉)

 二十三日、晴れ。わが領事館に至り領事に面会す。文豪および史家たるマコーリー氏の古屋を、カムプデンヒルにたずねたるも、探り得ず。

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