南半球五万哩

62話 第八、南米東部紀行 六二、コーヒー耕地日本移民の状態

1,028字 約2分 2011年10月25日 公開

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 二十一日、晴れ。暑気強く八十三度以上にのぼる。午前、平野氏の案内にて馬上にまたがり、耕地コーヒー園を一巡す。目下採収期にして、日本人老若男女ともにこれに従事す。採収高一俵につき手間賃一ミル(わが六十銭)とす。多く採収するものは、一日に三俵すなわち三ミル(わが一円八十銭)を得という。採収地よりただちにコーヒーを水に流し、水力にて製造場に輸送する装置あり。この一村落のコーヒー百八十二万八千株ありて、小作人一戸につき平均五千株を作らしむ。その小作料、一カ年六百五十ミル(わが三百九十円)とす。しかして採収料はこのほかなり。ゆえに一家族ここに住すれば、一年に諸生活費を除き、三百円を余すこと難からず。総戸数二百五十戸、人口千五百人、イタリア人過半を占め、日本人これに次ぐ。日本移民四十戸にして、百四、五十人これに住す。小学校あり、旧教寺院あり、医師診察所あり、雑貨店あり、下等のホテルあり。耕地一覧の実況を詩に賦す。

一条赤路貫青郊、馬上無風塵自包、走入果林有相識、採珈人是我同胞。

(一本の赤い道が青々と草茂る郊外を貫き、馬の背には風もなく塵がおのずとあたりをつつみこむ。走らせてコーヒー園に入れば知り人もあり、(コーヒー)を採取する人はわが同胞なのである。)

 午後、支配人の案内にて、事務所、コーヒー製造場、糖酒製造場、医院を一覧し、さらに日本移民の居宅を慰問す。その国籍は山口県、高知県、和歌山県なり。コーヒー園は丘陵の高地にありて、遠望すれば茶林のごとし。近く見ればその枝葉、茶に似てそれよりも大なり。高さ一丈に達するものあり。しかして、その実は茶よりも小なり。村名ガタパラはインデアン語にて鹿を義とすといえるを聞き、余はこれを鹿原と名づく。目下春期にして、暖靄朦々たり。夕陽は霞中に入りて深紅色を呈す。夜に入り、支配人の宅を訪問して謝辞を述ぶ。

 二十二日、晴れ。炎熱前日に異ならず。支配人および平野氏、途中まで送行せらる。午前八時発車。所々に野火を見る。枯れ草を焼くもののごとし。午後六時、サンパウロに着す。上塚、相川両氏、わが帰行を迎えらる。停車場にて喫飯し、両氏および豊島氏と手を分かち、さらに乗車してリオに向かう。ガタパラ行中、豊島氏が通訳の労をとられたるを謝す。車中紅塵の入り来たりて、衣服ために色を変ぜんとす。地質すべて赤土にして、乾燥すればたちまち塵埃となる。その軽きこと灰のごとし。

 二十三日、晴れ。朝六時、リオ都に帰着す。終日寓舎にありて休養す。

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