独房

2話 独房(2)

8,607字 約17分 2007年1月13日 公開

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 俺だちは「外」にいた時には、ヒドイ生活をしていた。一カ月以上も元気でお湯に入らなかったし、何日も一日一度の飯で歩き廻って、ゲッそり痩(や)せてしまったこともある。一週間と同じ処に住んでいられないために、転々と住所をかえた。これ等のことが分らずにいて、長いうちにはウンとこたえていた。――それで、警察に六十日居り、それから刑務所と廻ってくるうちに、俺は自分の四肢がスンなりと肥えてゆくのを感じた。俺の場合、それは運動不足からくるむくみでも何んでもなく、はじめて身体が当り前にかえって行くこの上もない健康からだった。

 俺だちの仲間は、今でも刑務所へ行くことを「別荘行」と云っている。ドンな場合でも決して屈することのないプロレタリアの剛毅(ごうき)さからくる朗(ほがら)かさが、その言葉のうちに含まさっているわけだ。然し、そればかしでなしに、俺だちにとっては本来の意味――いわばブルジョワ的な「休息」という意味でも、此処は別荘であるということを、俺は発見した。俺だちは、だから此処で、出て行く迄に新しい精気と強い身体を作っておかなければならないのだ。

 だが、さすがにこの赤色別荘は、一銭の費用もかゝらないし、喜楽的などころか、毎日々々が鉄の如き規律のもとに過ぎてゆくのだ――然し、それは如何にも俺だちにふさわしいので、面白いと思っている。

「さ、これから赤色体操を始めるんだぞ。」

 独房の中で「ラジオ体操」をやる時には、俺は何時でもそう云っている。こゝが赤色別荘なら、こゝでやるラジオ体操も従って赤色体操なわけである。

 俺は元気よく、力一杯に手を振り、足をあげる。

     松葉の「K」「P」

 運動場は扇形に開いた九つのコンクリートの壁がつッ立ッていて、八つの空間を作っている。その中に一人ずつ入って、走り廻わる。――それを丁度扇の要(かなめ)に当る所に一段と高い台があって、其処に看守が陣取り、皆を一眼に見下している。

 俺だちの関係で入ったものは、運動の時まで独りにされる。ゴッホの有名な、皆が輪になって歩き廻わっている「囚人運動」は、泥棒か人殺連中の囚人運動で、俺だちの囚人運動は矢張りゴッホには描けなかったのだろう。

 俺はその中で尻をはしょって、両肌(もろはだ)ぬぎになり、おイちニ、おイちニ、と馳け足をはじめる。二十分だ。俺は運動に出ると、何時でも、その速力の出し工合と、身体の疲労の仕方によって、自分の健康に見当をつける素朴な方法を注意深く実行している。

 走りながら、こっちでワザと大きな声をあげると、隣りを走っている同志も大きな声を出した。エヘンとせき払いをすると、向う端で誰かゞ、エヘンと答える。それから時には肱(ひじ)で、壁をたゝいて、合図をした。

 そのコンクリートの壁には、看守の目を盗んで書いたらしく、泥や――時には、何処から手に入れるものか白墨で「共」という字や、中途半端な「」「や、K・P(共産党の略字)という字が幾つも書かれている。看守が見付け次第それを消して廻わるのだが、次の日になると、又ちアんと書かれている。雨の降った次の日運動に出たとき、俺は泥をソッと手づかみにして、何ベンも機会を覗ったが、ウマク行かなかった。俺はどうもそういう事では、ボンくらかも知れない。

 或る朝、運動場の端の方にある焼木の柵の割れ目に、松葉の一本々々を丹念に組合せて作られた「K」と「P」を発見した。俺はその時の喜びを忘れることが出来ない。俺は急に踊るときのような恰好をして――走り出した。看守が高いところから、俺の方を見た。看守の眼を盗みながら、どの位の用意と時間をかけて、それを作ったのだろう。その一つ一つの動作をしている同志の気持が、そのまゝ俺に来るのだ。

 同志は何処にでもいるんだ、何よりそう思った。一度、本を読むのに飽きたので、独房の壁の中を撫でまわして、落書を探がしたことがある。独房は警察の留置場とちがって、自分だけしか入っていないし、時々点検があるので、落書は殆んどしていない。然し、それでも俺はしばらくして、色んな隅ッこから何十という「共産党」や旗やK・Pを探がし出すことが出来た。俺の前にこの同じ室に入っていた同志はどんな人であったろう。俺はそれらの落書の匂(におい)でもかぐように、そこから何かの面影でも引き出そうとした。「書信室」へ行くと、そこは机でも壁でも一杯に思う存分の落書きがしてある。俺も手紙を書きに行ったときは、必ず何か落書してくることに決めていた。

 成る程、俺は独房にいる。然し、決して「独り」ではないんだ。

     せき、くさめ、屁

 屁(へ)の音で隣りの独房にいる同志の健在なことを知る――三・一五の同志の歌で、シャバにいたとき、俺は何かの雑誌でそれを読んだことがあった。此処へ来て初めて分ったのだが、どの監房でも皆がよく屁をしていた。――然し俺の場合一日に四十から五十、いやそれ以上の屁が出るで弱ってしまった。これではかえって隣りにいる同志はキット俺の健康を気遣(きづか)っているかも知れない。

 俺はどうしたのかと思った。診察のとき、屁のことを医者に云った。

「それは醗酵(はっこう)し易い麦飯を食って、運動が不足だからですよ。」

 と、このお抱え医者は事もなげに云って、それでも笑った。

 そのことがあってから、俺は屁の事について考えた。此処にいると、どんなに些細(ささい)なことに対しても、二日も三日もとッくりと考えられるのだ。そして、これからは次々と出くる屁を、一々丁寧(ていねい)に力をこめて高々と放すことにした。それは彼奴等(きゃつら)に対して、この上もないブベツ弾になるのだ。殊にコンクリートの壁はそれを又一層高々と響きかえらした。

 しばらく経ってから気付いたことだが、早くから来ているどの同志も、屁ばかりでなく、自分独特のくさめとせきをちアんと持っていて、それを使っていることだった。音楽的なもの、示威的なもの、嘲笑的なもの……等々。

 夜になって、シーンと静まりかえっているとき、何処かの独房から、このくさめとせきが聞えてくる。その癖から、それが誰かすぐ分る。それを聞くと、この厚いコンクリートの壁を越えて、口で云えない感情のこみ上がってくるのを感ずる。

 俺だちは同志の挨拶をかわす方法を、この「せき」と「くさめ」と「屁」に持っているワケだ。だから、鼻の穴が微妙にムズ痒(がゆ)くなって、今くさめが出るのだなと分ると、それを実に大切にするんだ。

 ――俺もしばらくして、せきとくさめに自分のスタイルを持つことに成功した。

     オン、ア、ラ、ハ、シャ、ナウ

 高い窓から入ってくる日脚の落ち場所が、見ていると順々に変って行って――秋がやってきた。運動から帰ってきて、扉の金具にさわってみると、鉄の冷たさがヒンヤリと指先きにくるようになった。

 俺は初めての東京の秋の美しさを、来る日も来る日も赤い煉瓦と鉄棒の窓から見える高く澄みきった空に感じることが出来た。――北の国ではモウ雪まじりのビショ/\雨が降っている頃だ。――今までそうでもなかったのに、隣りの独房でさせているカタ、コトという物音が、沁みるような深さで感ぜられる。隣りの同志は「全協」だろうか、P(無新)の人だろうか、Y(無産青年)だろうか、それとも党員だろうか……?――秋深く隣は何をする人ぞ。

 扉が突然ガチャン/\と開いた。

「どっこいしょ!」

 蒲団をかづいできた雑役が、それをのしんと入口に投げ出した。汗をふきながら、

「こんな厚い、重たい蒲団って始めてだ。親ッてこんな不孝ものにも、矢張りこんなに厚い蒲団を送って寄こすものかなア。」

 俺はだまっていた。

 独りになって、それを隅の方に積み重ねながら、本当にそれがゴワ/\していて重く、厚くて、とてつもなく巾が広いことを知った。

 その後、俺は外(そと)の人に「夜、蒲団があまり重くて寝苦しい時には、この重さが一体何んの重さであるか位は考えてみないわけでもない。」そんなセンチメンタルなことを書いたことがあった。

 蒲団と一緒に、袷(あわせ)が入ってきた。

 二三日して、寒くなったので着物をき換えたとき、袂に何か入っているらしいので、オヤと思って手探ぐりにすると、小さいカードのようなものが出てきた。

卯の歳

   文珠菩薩

守本尊

 金と朱で書いた「お守」だった。

 マルキストにお守では、どうにもおさまりがつかない、俺は独りでテレてしまった。

 中を開けてみると「文珠菩薩真言」として、朝鮮文字のような字体で、「オン、ア、ラ、ハ、シャ、ナウ」と書かれている。

「オン、ア、ラ、ハ………………。」

 俺は二三度その文句を口の中で繰りかえしている。

 却々スラ/\と云えない。然しそれを繰りかえしているうちに、俺は久し振りで長い間会わないこの愚かな母親の心に、シミ/″\と触れることが出来た。

 俺たちはどんなことがあろうと、泣いてはいけないそうだ。どんな女がいようと、惚(ほ)れてはならないそうだ。月を見ても、もの想いにふけってはいけないそうだ。母親のことを考えて、メソメソしてもならないそうだ――人はそう云う。だが、この母親は俺がこういう処に入っているとは知らずに、俺の好きな西瓜(すいか)を買っておいて、今日は帰ってくる、そしてその日帰って来ないと、明日は帰ってくると云って、たべたがる弟や妹にも手をつけさせないで、終(しま)いにはそれを腐らせてしまったそうだ。俺は此処へ来てから、そのことを、小さい妹の仮名交りの、でかい揃わない字の手紙で読んだ。俺はそれを読んでから、長い間声をたてずに泣いていた。

 俺には、身体の小さい母親が、ちょこなんと坐って、帯の間に手をさしはさんでいる姿が目に見える。それが、何時でも心配事のあるときの、母の恰好だったからである。

     プロレタリアの旗日

 コツ、コツ、コツ………………。

 隣りの独房から壁をたゝいてくる。

 コツ、コツ、コツ………………。

 こっちからも直ぐたゝきかえしてやる。

 隣り同志の壁のたゝき方は色々に変った。それはみんな我々の歌の拍子になっていた。俺ときたら「インターナショナル」でさえ、あやふやにしか知っていないので困った。相手のたゝいて寄(よこ)す歌が分ると、そのしるしに、こっちからも同じ調子で打ちかえしてやる。隣りはその間、自分のをやめて聞いているのだ。そして俺のが終ると、

 ドン、ドン、ドン………………。

 と打ってよこす。――これで二人の同志の意志が完全に結ばれるんだ。

 毎日々々が同じな、長い/\退屈な独房で、この仕草の繰り返えしは一日の行事のうちで、却々重要な場面をしめている。ある同志たちが長い間かゝって、この壁の打ち方から自分の名前を知らせあったり、用事を知らせあって連絡をとったときいたことがあるので、俺も色々と打ち方の調子をかえたり、間隔を置いたり、ちゞめたりしてやってみようとしたが、うまく行かなかった。

 俺だちはお互に起床のときと、就寝のときと、飛行機が来たときと、元気なときと、クシャンとしたときと、そして「われ/\の旗日」のときに壁を打ち合った。――ブルジョワ階級が色んな「旗日」を持っているのと同様に、もはや今では日本のプロレタリアートも自分自身の「旗日」を持っている!

 ところが、どうしても残念なことが一つあった。それは隣りの同志が実によく「われ/\の旗日」を知っていることである。……いや、そうでなかった。それなら俺だって却々負けずに知っている。実は、その日になると、俺は何時でも壁を打つことで、隣りの同志にイニシアチヴを取られてしまうのだ。今度こそ俺の方から先手を打ってやろう、と待っている、だが、その日になると、又もしてやられるんだ。――九月一日も、十月七日も、残念なことには「十一月七日」にもやられてしまった。

 その日――十一月七日の朝「起床」のガラン/\が鳴ったせつな、監房という監房に足踏みと壁たゝきが湧(わ)き上がった。独房の四つの壁はムキ出しのコンクリートなので、それが殷々(いんいん)とこもって響き渡った。――口笛が聞える。別な方からは、大胆な歌声が起る。

 俺は起き抜けに足踏みをし、壁をたゝいた。顔はホテり、眼には涙が浮かんできた。そして知らないうちに肩を振り、眉をあげていた。

「ごはんの用――意ッ!」

 俺はそれを待っていた。丁度その時は看守も雑役も、俺のいる監房(No. 19.)から一番離れた(No. 1.)のところにいるのだ。――俺はいきなり窓際にかけ寄ると、窓枠に両手をかけて力をこめ、ウンと一ふんばりして尻上りをした。そして鉄棒と鉄棒の間に顔を押しつけ、外へ向って叫んだ。

「ロシア革命万歳」

「日本共産党バンザアーイ」

 ワァーッ! という声が何処(どこ)かの――確かに向う側の監房の開いた窓から、あがった。向うでも何かを云っている。俺の胸は早鐘を打った。

 飯の車が俺の監房に廻わってきたとき、今度は向うの一番遠い監房――No. 1. あたりで「ロシア革命万歳」を叫んでいるのが聞えた。看守はむずかしい顔をしていた。――誰か口笛で「インターナショナル」を吹いている……。俺は飯をそのまゝにして置いて――興奮し、しばらくつッ立っていた。

 丁度、飯を食い終る頃だった。デッキになっている階上の廊下をバタ/\と誰か二、三人走って行く音がした。何処かの監房が荒々しく開けられた。そして誰か引きずり出されたらしい。突然、もつれ合った叫声が起った。身体と身体が床の上をずる音がして、締め込みでもされているらしいつまった鈍い声が聞えた。――瞬間、今迄喧(やかま)しかった監房という監房が抑えられたようにシーンとなった。俺は途中まで箸(はし)を持ちあげたまゝ、息をのんでいた。

 と、――その時、誰か一人が突然壁をたゝいた。それがキッかけに、今度は爆発するように、皆が足踏みをし、壁をたゝき出した。

 われ/\の十一月七日を勇敢に闘った同志は、そのなかを大声で何か叫びながら、連れて行かれた。俺だちはその声が遠くなり、聞えなくなる迄、足踏みをやめなかった。

     出廷

 寒い冬の朝、看守が覗(のぞ)きから眼だけを出して、

「今日は出廷だぜ。」

 と云った。

 飯を食ってから、俺は監房を出て、看守の控室に連れて行かれた。皆は火鉢(ひばち)の縁に両足をかけて、あたっていた。「火」を見たのは、それが始めてだった。俺はその隅の方で身体検査をされた。

「これは何んだ?」

 袂を調べていた看守が、急に職業柄らしい顔をして、何か取り出した。俺は思わずギョッとした。――だが、それはお守だった。

「あ、お守だよ。」

 俺はホッとして云った。

 看守はあやふやな、分らない顔をして、

「へ――? お守?……どうしたんだ?」

 と独り言のように云った。

「おふくろがね……。」

 俺がそう云いかけると、その年寄った看守はみんな云わせず、

「あゝ、そうか、そうか、――そうだろう! 勿体(もったい)ないことだ!」

 と云って、それを額へもって行って頂いた。それから元通りにして、丁寧に袂にもどした。

「さ、両方手を出したり。」

 看守が手錠の音をガチャ/\させて、戻ってきた。そして揃えて出した俺の両手首にそれをはめた。鉄の冷たさが、吃驚(びっくり)させる程ヒヤリときた。

「冷てえ!」

 俺は思わず手をひッこめた。

「冷てえ?――そうか、そうか。じゃ、シャツの袖口をのばしたり。その上からにしよう。」

「有難(ありが)てえ。頼む!」

「こんな恰好見たら、親がなんて云うかな。不孝もんだ!」

 年を取って指先きが顫えるらしく、それにかじかんでいるので、うまく鍵穴に鍵が入らずガチャガチャとそのまわりをつッついた。向い合いながら、俺はその前こゞみになっている看守の肩を見ていた。

 その日の出廷はもう一人いた。小柄な瘠せた男で、寒そうに薄い唇の色をかえていた。「第二無新」の同志らしかった。

 俺は半年振りで見る「外」が楽しみでならなかった。護送自動車が刑務所の構内を出てから、編笠を脱ぎ、窓のカーテンを開けてもらった。――年の暮れが近く、街は騒々しく色々な飾をしていた。処々(ところどころ)では、楽隊がブカ/\鳴っていた。

 N町から中野へ出ると、あののろい西武電車が何時のまにか複線になって、一旦雨が降ると、こねくり返える道がすっかりアスファルトに変っていた。随分長い間あそこに坐っていたのだという事が、こと新しい感じになって帰ってきた。

 新宿は特に帰えりに廻わってもらうことにして、自動車は淀橋から右に入って、代々木に出て、神宮の外苑を走った。二人は窓硝子に頬も、額も、鼻もぺしゃんこに押しつけて、外ばかりを見ていた。青バスの後に映画のビラが貼られているのを見ると、一緒の同志が「出たら、第一番に活動を見たいな。」と云った。

 時代錯誤な議事堂の建物も、大方出来ていた。俺だちはその尖塔(せんとう)を窓から覗きあげた。頂きの近いところに、少し残っている足場が青い澄んだ冬の空に、輪郭(りんかく)をハッキリ見せていた。

「君、あれが君たちの懐(なつか)しの警視庁だぜ。」

 と看守がニヤ/\笑って、左側の窓の方を少しあけてくれた。俺ともう一人の同志は一寸顔を見合せた。――警視庁と云えば、俺は前に面白い小説を読んだことがあった。

 警視庁の建築工事に働きに行っている労働者の話なんだが、その労働者がこの工事をウンと丈夫に作っておこうと云ったそうだ。ところが仲間に、よせやい、自分の首を絞めるものではないか、いゝ加減にやッつけて置けよとひやかされてしまった。すると、その労働者が、

「馬鹿云え。政権一(ひと)度われらの手に入らば、あすこはゲー・ペー・ウの本部になるんだ。そのために今から精々立派な、ちっとやそっとで壊れない丈夫なものにして置くんだ!」

 と云った。そういう筋のものだった。

 小説嫌いの俺も、その言葉が面白かったので、記憶に残っていた。

 その警視庁の高い足場の上で、腰に縄束をさげた労働者が働いていた……。それが小さく動いているのが見えた。

 その日、予審廷の調べを終って、又自動車に乗せられると、今度は何んとも云えないイヤな気持ちがした。来るときは、それでもウキ/\していたのだ。

 新宿は矢張り雑踏していた。美しい女が自動車の前で周章てるのを見ると、俺だちは喜んだ。――だが、何故こんなに沢山の「女」が歩いているのだろう。そして俺が世の中にいたとき、決してこんなに女が沢山歩いていなかった。これは不思議なことだと思った。女、女、女……俺だちの眼は、痛くなるほど雑踏の中から、女ばかりを探がし出していた……。

 刑務所との距離が縮まって行く。俺だちは途中色んな冗談を云い合ったものだ。然し二人ともだん/\黙り込んできた。

「街を見たし……又、坐ってるさ……。」

 俺はそれだけをポツンと云った。そして、それっ切り黙ってしまった。

 今はモウ自動車は省線のガードをくゞって、N町へ入っていた。

 今年も、あと五日しかない。

     独房小唄

「……私この前ドストイエフスキーの『死の家の記録』を読んでから、そんな所で長い/\暗い獄舎の生活をしている兄さんが色々に想像され、眠ることも出来ず、本当に読まなければよかったと思っています。」

「でも、面会に行く度に、兄さんはとてもフザケたり、監獄らしくない大声を出して笑ったり、どの手紙を見ても呑気なことばかり書いているので、――一体どういうワケなのか、私には分りません。」

 俺はこの手紙を見ると、思わず吹き出してしまった。ドストイエフスキーとプロレタリアの闘士をならべる奴もあるもんでない、と思った。俺も昔その本を退屈しいしい読んだ記憶がある。成る程、人道主義者には此処はあんなにも悲痛で、陰惨で、救いのないものに見えるかも知れないが未来を決して見失うことのないプロレタリアートは何処にいようが「朗か」である。のん気に鼻唄さえうたっている。

 時々廊下で他の「編笠」と会うことがある。然したッた一目で、それが我々の仲間か、それともコソ泥か強盗か直ぐ見分けがついた。――編笠を頭の後にハネ上げ、肩を振って、大股(おおまた)に歩いている、それは同志だった。暗い目差(まなざ)しをし、前こゞみに始終オド/\して歩いている他の犯罪者とハッキリちがっていた。

 それどころか、雑役が話してきかせたのだが、俺だちの仲間のあるものは、通信室や運動場の一定の場所をしめし合せ、雑役を使って他の独房の同志と「レポ」を交換したり「獄内中央委員会」というものさえ作っている、そして例えば、外部の「モップル」と連絡をとって、実際の運動と結びつこうとしたり、内では全部が結束して「獄内待遇改善」の要求を提出しようとしているそうだ。

 彼奴等がわれ/\をひッつかんで、何処へ押しこもうとも、われ/\は自分たちの活動を瞬時の間だって止めようとはしていないのだ。――「独房」「独房」と云えば、それは何んだが地獄のような処でゞもあるかのように響くかも知れない。そのために、そこに打(ぶ)ち込まれることを恐れて、若しも運動が躊躇(ちゅうちょ)されると考えるものがいるとしたら、俺は神に(神に、と云うのはおかしいが)かけて誓おう――

「全く、のん気なところですよ。」と。

 第一、俺は見覚えの盆踊りの身振りをしながら、時々独房の中で歌い出したものだ――

独房(どくぼう)よいとオこ、

誰で――もオおいで、

ドッコイショ

………………

附記 田口の話はまだ/\沢山ある。これはそのホンの一部だ。私は又別な機会に次々とそれを紹介して行きたいと思っている。

(一九三一・六・九)

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