4話 四
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計之介はちょっと黙った。
「それは知らなかった」と東次郎が云った、「そうか、江戸からやって来たのか」
計之介は暫く黙って、それからまた話し続けた。
おひさは江戸をぬけて来、この城下の木花町で芸妓になった。彼に逢おうとは思わなかった、ただ彼のいる土地に住みたい一心だった、と云った。
――でも一度だけおめにかかりたかったので、思いきって手紙をさしあげたんです。
おひさはそう云って微笑した。
――これで気が済みました、いちど逢えたし、同じ土地にいられるのだから本望です、もう二度と御迷惑はかけませんわ。
おひさは本気だったろうか。
「それはわからない」と計之介は云った、「本当にそれっきり逢わないつもりだったか、それとも、そうするほうが男をもっと惹きつける、ということを知っていたためか、どっちともわからない、ともかく、――その後おひさから呼びだしは来なかった」
しかし計之介のほうから逢いにいった。
逢いにゆかずにはいられなかった。初めておひさによって女を知り、僅かな期間ではあるが繰り返されて、それがどんなに強い誘惑であるかわかっていた。そのうえ、江戸をぬけて来た女の、ひたむきな、思いつめた気持もあわれであった。
――これで本望だ。
こんな田舎の城下町で芸妓になって、それでも同じ土地にいられるから本望だという。おひさの言葉は彼の心を刺し、彼の心をつかんだ。
――いらしってはだめよ。
おひさは云った。計之介が逢いにゆくたびに、おひさはそう云うのであった。
――土地が狭いからすぐ噂になります、これっきりいらっしゃらないでね。
計之介もそうしようと思った。深江に対しても気が咎めた、深江は十七になり、ずっと娘らしくなっている。いっそ深江と結婚してしまおう、そうすれば女を忘れられるかもしれない、彼はそうも考えた。すると却って執着が強くなった。おひさの身についた、男を夢中にさせる技巧にか、――そうかもわからない。しかしそれ以上に、女の思いつめたすがたが、あまりに哀れでいじらしかった。馴染のない土地の座敷で、田舎客を相手にうたったり踊ったりしている姿を想像すると、もうそれで、逢いにゆかずにはいられなくなるのであった。
――こんどこそ、これっきりよ。
おひさはそう云った。こんど来たってもう逢わないとも云った。しかも逢う度数は増してゆくばかりであった。
――こんなことをしていてどうなるの。
――そのうちに飽きるさ、大丈夫だよ。
――そうね、どうせ御夫婦になれるわけじゃないし、そのうちには飽きるかもしれないわね。
――そうだとも、二人ともきっと飽きてくるよ。
そして二人の仲はさらに深くなった。
「もう半年もしたら、本当に飽きて別れたかもしれない」と計之介は云った、「しかしそのとき、まわりで二人の仲が評判になり、松野がしきりに意見を云いはじめた」
「松野はおれのところへ相談に来た」と東次郎が云った、「おれはもう少し待てと云った、もうやむだろうから、もう少し黙っているがいいと云ったんだ」
「松野はそれができなかった」と計之介は云った、「もう金がなくなりかけていたんだ」
伊太夫は金のことは云わなかった。杉丸家に聞えては済まない。家中の評にのぼっても、家名に瑾がつくからと云った。それからの二人はそれまでの二人とは違ってきた。みんなが睨んでいる、みんなが仲をさこうとしている、もうおおっぴらには逢えない。二人はそう思い、隠れて逢うようになった。それが二人をもっと強くむすびつけた。世間の眼を忍ぶことで、お互いへの愛情も、快楽への誘惑も激しくなり、一日も逢わずにはいられないようになっていった。
計之介も女も借金が嵩んだ。
彼は松野に云えない金を借りてまわり、おひさは彼の気づかないところで借金をつくった。いうまでもない、二人は世間の眼を忍ぶために、却って世間の噂を高めるような結果になった。――給銀が払えないので、松野は召使たちに暇をやり、三人いた家士たちもつぎつぎに去った。
父の舎人が死に、彼があとを相続したので、もうなにか役に就くじぶんであった。しかしなんの沙汰もない、おそらく女との噂が邪魔をしているのだろう。役に就かなければ(中老の家格に変りはないが)食禄は三分の一減らされる。生活はぎりぎりまでゆき詰った。
「そのとき女がうちあけたんだ」と計之介は云った、「はじめは泣くばかりで、どうしても云わなかったが、おれがせめにせめたら、――もうこれで逢えない、自分はほかの土地へくら替えしなければならないのだと云った」
計之介は初めて女の借金を知った。
江戸から来て一年半ばかりの期間に、女は背負いきれないほどの借金をつくっていたし、もう延ばせない期限が来ていた。金を返すか、他の土地へくら替えするか、どちらかにしなければならなくなっていた。
――よし、金をつくろう。
計之介は云った。
――その金をきれいにすれば、おまえの躯は自由になるんだろう。
――そうして江戸へ帰れと仰しゃるの。
――金をつくってからだ。
――あたしをくら替えさせて。
――おれに金がつくれないと思うのか。
――お願いだからくら替えをさせて。
そんなに遠い処ではないからくら替えしても逢えないことはない。むしろ土地が離れるから、気兼ねなしに逢えるだろう。おひさはそう云った。しかし彼にはそうはできなかった、彼のために江戸をぬけ、彼のためにそんな借金を負わせて、それで黙って見ていられるものではなかった。
彼は松野に無断で、家にある書画やめぼしい道具を売った。
松野は怒った。父の代から仕えていて、温和しい一方の、忠実で勤直な彼が怒った。
――私はお暇を頂きます。
松野はふるえながら云った。計之介は勝手にしろと云った。
――その代りなにも云うな。
松野はなにも云わなかった。松野は意見らしいことはなにも云わずに、妻と二人で出ていった。そして、計之介は一人になった。
「おれが松野にそうしろと云ったのだ」と東次郎が云った、「そうして暫くようすをみるがいいと」
「いまになればわかるが、あのときは頭が狂っていた」と計之介は云った、「よし、それならこっちもゆくところまでいってやれ、どうなるものか、――」
そうして彼は女を自宅へ引取った。