死線を越えて 01 死線を越えて

28話 二十七

1,530字 約3分 2022年7月10日 公開

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 年の暮も近づいた。そして荷物が沢山出て運送業者は何処も急がしかつた。穂積は五日目に伊豆から帰つて来たが、船は大丈夫だし、荷物も半分は助かつて居るから保険金は取れまいと云ふ。それでも今の荷物を全部水に濡らす勇気があれば、神戸海上は保険金を支払ふだらうと報告した。村井は電話で『丸二』に聞いて見ると荷物は全部を濡らして保険金を取ると云うて居た。

 それから二三日たつてであつた。神戸新聞を見ると、村井の夫婦喧嘩のことが出て居る。それは妻君が村井に殴られたので大きく云つて警察署へ訴へ出たものだから書かれたものらしい。然しそれには村井が『やとな芸者』と関係して居ることなど書いてある。村井が『やとな芸者』と関係して居たことは、店のものが二三週間前に評判して居たが、妻君が妊娠中だから、あの吝な男が、外の女に手を出すのだよなど噂をして笑つただけであつたが、それが原因となつて、新聞にまで出されることになると、何だか気の毒な感じがする。その日、店は非常に急がしかつたが、村井はとうとう一日中、店に顔をみせなかつた。

 その日の夕方、栄一が手数料を計算して居ると、六が浜から帰つて来て、浜での評判では、店の細川が浜の菓子屋の娘――先に六弥が子猫を遣つた店の――に子を孕ませたと云ふことだと報告した。菓子屋の娘と云へば、まだ十五か十六で、細川とは十も違ふにと栄一は考へたが、自分に弱点もあるものだから何にも云はなかつた。然しその晩、沖から帰つて来た番頭の細川も、山田も、穂積も皆変つた顔色もして居らなかつた。然し次の朝、穂積と細川とは何か栄一にはわからぬが、台所で罵り合つて居た。そして、穂積は栄一の机の所へやつて来て、

『大将、細川に気をつけなあきまへんで!』と忠告した。それが何を意味したか栄一には理解されなかつた。然し細川はその晩とう/\帰つて来なかつた。翌日も、またその翌日も帰つて来ない。そして村井も丁度三日間も出て来ない。それで穂積とまた二十歳にならぬ山田と小僧の六弥と自分と四人で船積に目の眩む程働いた。然し困つたことは、海上保険に立て換へねばならぬ金が一文も無いことである。銀行の通帳は村井が持つて居るので、それにはまだ五百や六百の預金が有つた筈である――栄一は閉口してしまつた。村井は飾磨から七百円の手数料を取つて来て持つて居る筈である。『丸二』は事件が片付くまで手数料を請求することが出来ない。仕方が無いから、徳島の近藤から廻つて来た運賃三百三十円を融通することにした。

 十二月の九日の朝栄一は二階の書斎で新聞を読んで居ると六弥が、飾磨の荘田の主人が来たと伝へて来た。会つて見ると、細川の不正を働いて居たことが理解された。それは、穂積が伊豆へ行つて留守して居る中に北海道小樽上げの米百五十石を、十二月一日神戸出帆の博多丸に積んだ筈であるに係はらず、その中五十石を抜いて居ると云ふことがわかつた。それで栄一は全く驚いてしまつたが、何れ取調べた上でと荘田を返した。

 村井はその朝、平気な顔をして、荘田の帰つた後にすぐ店へやつて来た。栄一は村井のことに就ては何も云はなかつた。然し荘田の事件を話すると『細川やりやがつたな』と憤慨して居た。そして、村井はあちらこちらと電話をかけて居たが、細川が東京へ行つたと云ふことだけはわかつた。そして、山田は米の五十石が東川崎町四丁目の谷井と云ふブローカーが買つたと云ふことを物語つた。そして、何にも知らない山田は、今日まで細川に不正があるとは知らなかつたと村井に告げた。『仕方が無いな!』と村井は舌を鳴らして居た。

 村井に、預金がどれ程あるかと聞いて見たが、『私の月給を貰へば三百円しかありませんよ』とすげ無い返事をして居た。

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