死線を越えて 01 死線を越えて

35話 三十四

4,677字 約9分 2022年7月10日 公開

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 翌日の午後、ウイリアムス博士から、西洋人の教会の日曜学校からだと云つて、玩具を二行李、車夫が届けて寄越した。それで二十七日の朝早くから、貧民窟の子供に分け与へた。新見の内へ二三百人の子供が押しかけて来た。それを聞いて林も、植木も、富田もまたやつて来た。そして、富田はづうづうしくも、自分の好む玩具を勝手に選んで、

『うちの、かつえに、やつておくんなはれよ』

と、云ふ。それに見習うて、林も、植木も玩具を取る。大人も十五六人やつて来て、玩具をねだる。栄一はその中に三ノ宮筋によく乞食に出て居る目茶目茶女を見付けた。それはしつツこく玩具を要求する。それで栄一は玩具の分配法に困却してしまつて、ありつたけのものを凡て子供に与へて、逃げ出すやうにして保険会社に出た。

 晩方、ウイリアムス博士の出資で、阿波屋の広間を借りて貧民窟のクリスマスをした。そして、お菓子と手拭を一筋づつ木賃宿の二畳敷の貧しい人々百人にわけ与へた。

 内山は栄一が来てから、殆ど飯も食はずに寝てばかり居る。聞いて見ると、二十六日は一度も食はず、二十七日は朝富田に十銭貰つて、朝食したばかりだと云ふ。それは、内山が誤解をして、耶蘇の納所坊主になるのだから、養うて呉れるものと考へて居るらしいのである。内山は、人も善さそうだし、親切でもあるしするから、一緒に居ることはかまはないが、養はねばならぬと思ふと、何だか重荷のやうに考へられた。実は新見も朝食もせずに、昼と晩とはうどんやで親子丼を食つて居るのであるが、あまり、内山が可哀相に思つたから、早速米と土鍋と七輪を買うて来て、一緒に飯を炊いて食ふことにした。

 二十八日の晩、栄一が路傍説教して居ると、昨夜阿波屋で会つた、伊豆と云ふ四十五六の貧相なリウマチで困つて居る病身ものが、

『教ヶ島が御世話になつて居るさうで誠に結構で御座いますな……私もお世話をして頂きたいのですが、どんなもので御座いませう』

と云うてくる。

 それで蒲団が無いと云ふと、蒲団を持つて行くと云ふ。畳が無いと云ふと蓆を持つて行くと云ふ。それ以上断ることも出来ないので『それぢや、いらつしやい』と云ふと、『今夜から行つても善いか』と尋ねる。今夜からでも善いと答へると、すごすご重い足を引摺り乍ら闇に影が消えた。

 説教をすませて帰つて来ると、後から『大将、大将』と呼ぶ男がある。みると、五十位の仲仕風の男だ。随分酔うて居る。

『大将頼むぜ、お雪を頼むぜ』と繰返す。

 栄一には何のことか薩張り判らなかつた。

『わしは、君ン処の隣の、吉田と云ふ餓鬼ぢや、頼む……頼む……少しな胸糞が悪うて飲んだんぢや……頼むぜ、大将』と云ふ。それで栄一が帰つてくると、後からついて帰つて来る。そして西隣に這入つた。

 ランプも何にも無くて、カンテラを灯して居るが、家の中には畳も何にもない。床になつて居る古板の上に、南京米の袋を敷いて寝るらしい。隅に小さく黒くなつて居るものがある。それが吉田の娘お雪らしい。着物を着たまゝ何にもかけずに寝て居るのだ。

『お雪、こら、お雪、酒買うて来い』と怒鳴つて居る。

 栄一はあまり悲惨なので、立入つて話もせずに、自分の室に這入つた。さうすると、伊豆さんが、早やもうちやんとやつて来て隣の室に蓆を敷いて寝て居る。用事が無くて昼から寝て居る内山は勿論、栄一の温かい善い蒲団の中へ這入つて居る。

『伊豆さん、その蒲団はどうしたの?』ときくと、

『一晩二銭の貸蒲団を借りて来ましてん』と云うて居る。ランプの光で見てみると、『かしぶとん、しち入れおことわり』と模様に幾千字と無く書いてある。『なる程』と栄一は合点した。

『伊豆さんの職業は何ですか』と尋ねると、明日から『繩拾ひ』に行くのだと云うて居る。

 栄一は内山の疥癬が伝染して痒くてその晩は充分に睡られなかつた。内山も、ボリボリ掻いて居た。

 その晩十時頃栄一が寝て居ると向隣の日山と云ふ妙な名の夫婦ものが住んで居る家で大喧嘩を始めた。よく聞いて居ると、下の《まるさん》で高利を借りた処が払はないと云ふので、破戸漢のやうな男が暴れて居るらしい。

 それで栄一は飛んで行つて、理由を聞くと、僅かに、五十銭のことなのだ。それで栄一はそれを支払つてやつた。さうすると日山は、栄一を神様を拝むやうにして拝んで居た。

 翌日、朝早くから、植木がまたやつて来た。そして、不景気で仕方が無いから、春から浜へ行つて餅屋をするから、五円の金を借してくれとまた云うて来た。それで栄一は植木が此前に彼を欺いたから否ぢやと云うた。さうすると『わしも考へがあるね、どうしても借らな承知せんのや、切れるものを持つて居るのや』と云うて『ドス』(懐刀のこと)を栄一に見せる。そして植木の顔色が段々変になつた。

 そこへ林が之もまた、

『ちつと、金でも貸してもらはな、どむならん』と云つてやつて来た。そして植木に向つて、『お前こんな所へ、何にしに来て居るんや? また、愚図々々云ひに来やがつたら許さんぞ』と詰責して居る。植木は林の前には何故か、頭が上らない。

『帰つて行け、帰つて行け!』と云ふと、すごすご帰つていつた。

 今度は林が金を十円是非とも貸せと云ふ。そして、栄一の財布を探して居る。そして、また『ドス』を懐から取り出して見せる。そこへ富田がやつて来る。

『林、ドスなど持つて来て、何をして居やがるんだい。帰れ、帰れ』と云ふ。林が黙ると、今度は、自分が金三十円借りたいと云ふ。そして今度は、ピストルを見せる。栄一は、破戸漢に弄められて居るとは考へたが、『ドス』もピストルも少しも恐ろしいとは考へなかつた。反つて面白かつた。こんなことが無ければ、貧民窟に来た甲斐が無いと思つた。それで黙つて居た。一言も返事をしなかつた。一言でも返事をすると附け込んで来るからである。さうすると、富田と林の二人が喧嘩を始めた。それで、内山が起きて来て二人の喧嘩を分けて居る。栄一は静かに起きて、水道端へ顔を洗ひに行つた。帰つて来た時に二人共帰つて居つた。

 それで内山は叮嚀に栄一に『ユスリ』の手段を説明した。

『喧嘩を吹きかけて、仲裁するやうな風を見せてユスるんだつさかいな、一寸でも、腹を立てたらいきまへんぜ……然し富田のあの勢ぢや、今夜は屹度、暴れに来まつせ、先生は逃げて居つた方が善いな』と云うて居る。そしてまた、『明後日の大晦日に入る金があると見えるな』と云うて居る。

 その晩、果して富田は暴れに来た。七時頃栄一は貧民窟の訪問に出ようと思つて居ると、富田がやつて来て、『糞生意気な』と云ひ乍ら、栄一を突き飛ばして、頬ぺたを三つ四つ擲つた。栄一は何のことだか薩張りわからなかつた。それは新川の親分の繩張りで、富田の云ふことを聞かぬと云ふのが、『生意気だ』と云ふことであるらしい。更に富田は、

『殺すぞ』

と、九寸許りの『ドス』を引抜いた。頗る凄いもので有つた。然し栄一はビクとも為なかつた。既に死を覚悟して、飛び込んで来て居るのだ、斬られることは少しも辞する所では無かつた。絶対の無抵抗主義者ではあるし、勿論反抗もしなかつた。

 富田が『ドス』を振り上げると、七輪に暖まつて居た内山が飛んで来て、『兄キ、何にするんや……まアそんなに怒らんでも善いぢやないか』と、懐刀(ドス)をもぎ取つた。

 さうすると、富田は、七輪目懸けて飛び上つて行つた、七輪を庭に立つて居る栄一に投げ付けんとしたが、急に、何を思つたか、畳の上へ、打ちつけた。山の様に燃えて居た炭火が座敷中に散る。また内山が飛び上つて行つて、その火を拾ひ集めて居る。その間に栄一は裏口から逃げ出て、海岸へ祈りに行つた。

 十一時頃に栄一が帰つてみると、一枚の障子は目茶苦茶に擲き毀してあつた。栄一は非道いことをすると思うたが、黙つて寝た。

 三十日の朝も晩も、富田は暴れに来た。それでたうとう内山は栄一に忠告して、

『先生、富田に二十円か、そこいらおやりなさい、その方が傷つけられるより結局徳ですぞ』と云うた。

 そこで栄一もその気になつて、保険会社から貰つた、僅か許りの年末賞与、月給一ヶ月分二十五円の中から二十円を富田に与へることにした。然しそれを知つて植木は承知しなかつた。たうとう、後の五円を持つて行つてしまつた。栄一は猶月給の残りを僅か許り持つて居たが、隣の二畳に畳と障子を買うて入れたので後は一文も無かつた。

 明治四十二年はそんな淋しい年の暮を貧民窟で送つた。然し栄一に取つて、たゞ一つの喜びは僅か四日ばかりの貧民窟の生活に友人の出来たことであつた。勿論内山の爺さんがその一人であるが、伊豆さんも他の一人であつた。

 然し此処に新しく、新見を『先生』として仰ぐ一団が出来た。それは、貧民窟の子供等であつた。貧民窟の子供は非常に栄一が好きになつた。そして栄一も彼等が好きであつた。

 甚公に、虎市に、花枝に、数さんに、熊蔵は午後の四時頃に栄一の帰るのが待遠しいので、朝から遊びに来て、栄一の留守の間は、狭い栄一の家の前の路次で、昼の間遊んで栄一を待つて居る。そして、午後四時に栄一の顔を見ると路次の東の端から西の端まで飛んで来て、栄一を歓迎してくれる。そして彼等の云ふ第一声は、

『先生、今日、玩具無いの?』

と、云ふことであつた。栄一は先づ、甚公の頭を撫でて、虎市、花枝と順々に子供等の頭に手を按くのであつた。さうすると子供等は皆『先生』の外套の裾を持つたり、袖を握つたりなどして、栄一の家まで随いてくるのである。

 その外に、栄一には、生れて始めて一人の信者が出来た。それは二十七日の阿波屋のクリスマス貧民招待会に、吾妻通六丁目の二畳敷長屋から、妻君に負はれて、集りに来た足の立たない四十近い男が居た。聞けばその男はリウマチで、四ヶ月も足が立てないのだと云うて居たが、二十八日の夕方栄一の処へ、優しさうなその妻君が、

『先生、どうか誠に済みませんが、耶蘇の御祈祷をして下さることは出来まへんだつしやろか』と云うて来た。

 それで栄一は早速出かけて行つて、病の癒える様にと祈つた。すると三十日の朝方、栄一が年の中の最後の日の出勤に出かけて居ると、長い竹の杖にすがつて、足の立たなかつた筈の出口が路次の向うからやつて来る。髪は石川五右衛門の様に真直に延びて、青ざめたその顔は、貧民窟で無ければ見られぬ姿であつた。

 出口は、栄一の祈祷でその日から足腰が立つやうになつたと云つて、感謝をしに来たのであつた。

 それからと云ふものは出口は貧民窟に於ける、耶蘇教の宣伝者となつた。明治四十三年の一月一日は丁度日曜日であつたが、栄一はその狭い五畳敷で初めて夕の礼拝をすると貧民窟を布れて廻つた時に、出口は吾妻橋六丁目の二畳敷から六七人の友人を連れて来て、狭い所は一杯であつた。その中には繩屑拾ひの伊藤、井戸渫への石野夫婦――之は夫婦に子供を連れて来た『羅宇(らを)管(す)げ換へ屋』の老爺さん、それにも一人の紙屑拾ひの年寄が有つた。それに伊豆と内山が加はつて晩の礼拝は実に愉快であつた。

 栄一は幸福であつた。栄一は出来るだけ平易に話をした。そして、皆のものが一人、一人祈つて帰つた。その中の一人は『祈祷』と『感謝』を間違へて『病気の癒されんことを感謝し奉る』など云うて祈つた。

 然し栄一には何故斯うキリスト教が早く伝播するかと云ふ理由がわからなかつた。然し礼拝の後に出口の云ふ所でよくわかつた。それは出口が教へて廻つたのであつた。

 兎に角、貧民窟の生活は栄一の若き血を湧かしめるには充分で有つた。

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