47話 四つの都 四七 矢野名曲堂。
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葉子、独りでラロの『スペイン交響曲』を聞いて、物想いに耽っている。その音がかすかに裏の休閑地へ聞えている。
その裏の休閑地を、鶴三が耕している。
その横で、夜店出しも一緒に耕している。
鶴三、耕し終って、夜店出しへ声を掛ける。
鶴三「どうやら雨が上ったようだ、今夜は商売が出来ますな」
夜店出し「天気を相手の商売ちゅうやつもつくづくいやになった。雨が降っても槍が降ってもという商売に転業しよ思てまんねん」
鶴三「レコード屋はやりなさんなよ。人間は身体を責めて働かなきゃ嘘だからね」
言いながら家の中へはいり、やがて店へ出て来る。
葉子、父親がはいって来たので、慌てゝレコードをとめる。
鶴三「お前ひとりか、中瀬古さんは……?」
葉子「まだ来やはれへんわ」
鶴三「中瀬古さんの診立て通り、おれの身体はまだ働けるぞ」
葉子「中瀬古さん、遅いなア、まだ走ったはんのやろか」
この時、庄平入って来る。巻脚絆姿。葉子そわそわする。
鶴三「やあ、待ってました、マラソンは……?」
庄平、賞品を出して、
庄平「これ、貰いました」
葉子「あら、一等……」
庄平「あなたにあげますよ、それ」
葉子「おおけに」
庄平(ポケットから薬を出して、鶴三に渡す)「あなたにはこれ、約束の薬です。気休めに服んでみて下さい」
鶴三「こりゃ、どうも」(押し戴く)
庄平「あ、しまった」
鶴三「どうかしましたか」
庄平(デス・マスクを指して)「南方土産の面を持って来てあげようと思って、うっかり忘れていた、明日持って来てあげましょう」
葉子「明日も来てくれはりますの」(嬉しそう)
鶴三「葉子、お茶をいれて来な」
葉子、去る。蜂谷十吉のそっと入って来る。
鶴三「おや、いらっしゃい」
庄平、十吉の方を見て、そのまゝ視線を動かさない。
庄平「蜂谷君じゃないか」
十吉「じゃ、やっぱし中瀬古君か」
庄平「うん、イノシシだよ」
十吉「あわて者の」
鶴三「お知り合いでしたか」
庄平「中学時代一緒だったんですよ、もう十年も会わぬが、面影はあるね」
十吉「実は、先刻君を見たんだよ、学校で」
庄平「マラソンをやってる処を」
十吉「うん」
庄平「どうして声を……?」
十吉「……掛けようと思ったんだが、雨が降ったドサクサまぎれに、見えなくなったんだよ、その前に、君は尾形君の妹さんと話していたろう?」
庄平「うん」
十吉「その時、傍へ行こうと思ったんだが、なんだか悪いように思ったから」
庄平「悪い事があるもんか、へんな奴だなア、尾形君なら君もよく知ってたんじゃないか」
十吉「うん、そりゃ知ってたけど……君はあの妹さんと親しいの?」
庄平「会うのは今日はじめてだ」
十吉「……」
庄平「君はまだ一人……?」
十吉「誰が僕の所へ来てくれるもんか。君は……?」
庄平「勿論一人だ、もっとも明日見合いする事にはなってるがね」
葉子が茶を持って来て、聞いている。
十吉(何となく釈然として、生々とした声になる)「そうかい、で、誰だい相手は……?」
庄平「誰だか知らん、もっとも名前だけは判ってるが……小谷初枝……」
十吉「小谷初枝、聞いたような名だが……名前の感じは、清楚だな」
庄平(呟くように)「妻を娶らば才たけてか」
十吉(うたう)「みめうるわしく情ある……」
葉子、寂しい。
庄平、十吉(合唱する)「友を選らばば書を読みて、六分の侠気四分の熱……」
壁のベエトオヴェンのデス・マスクは歌わない。