四つの都

47話 四つの都 四七 矢野名曲堂。

1,366字 約3分 2013年7月30日 公開

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葉子、独りでラロの『スペイン交響曲』を聞いて、物想いに耽っている。その音がかすかに裏の休閑地へ聞えている。

その裏の休閑地を、鶴三が耕している。

その横で、夜店出しも一緒に耕している。

鶴三、耕し終って、夜店出しへ声を掛ける。

鶴三「どうやら雨が上ったようだ、今夜は商売が出来ますな」

夜店出し「天気を相手の商売ちゅうやつもつくづくいやになった。雨が降っても槍が降ってもという商売に転業しよ思てまんねん」

鶴三「レコード屋はやりなさんなよ。人間は身体を責めて働かなきゃ嘘だからね」

言いながら家の中へはいり、やがて店へ出て来る。

葉子、父親がはいって来たので、慌てゝレコードをとめる。

鶴三「お前ひとりか、中瀬古さんは……?」

葉子「まだ来やはれへんわ」

鶴三「中瀬古さんの診立て通り、おれの身体はまだ働けるぞ」

葉子「中瀬古さん、遅いなア、まだ走ったはんのやろか」

この時、庄平入って来る。巻脚絆姿。葉子そわそわする。

鶴三「やあ、待ってました、マラソンは……?」

庄平、賞品を出して、

庄平「これ、貰いました」

葉子「あら、一等……」

庄平「あなたにあげますよ、それ」

葉子「おおけに」

庄平(ポケットから薬を出して、鶴三に渡す)「あなたにはこれ、約束の薬です。気休めに服んでみて下さい」

鶴三「こりゃ、どうも」(押し戴く)

庄平「あ、しまった」

鶴三「どうかしましたか」

庄平(デス・マスクを指して)「南方土産の面を持って来てあげようと思って、うっかり忘れていた、明日持って来てあげましょう」

葉子「明日も来てくれはりますの」(嬉しそう)

鶴三「葉子、お茶をいれて来な」

葉子、去る。蜂谷十吉のそっと入って来る。

鶴三「おや、いらっしゃい」

庄平、十吉の方を見て、そのまゝ視線を動かさない。

庄平「蜂谷君じゃないか」

十吉「じゃ、やっぱし中瀬古君か」

庄平「うん、イノシシだよ」

十吉「あわて者の」

鶴三「お知り合いでしたか」

庄平「中学時代一緒だったんですよ、もう十年も会わぬが、面影はあるね」

十吉「実は、先刻君を見たんだよ、学校で」

庄平「マラソンをやってる処を」

十吉「うん」

庄平「どうして声を……?」

十吉「……掛けようと思ったんだが、雨が降ったドサクサまぎれに、見えなくなったんだよ、その前に、君は尾形君の妹さんと話していたろう?」

庄平「うん」

十吉「その時、傍へ行こうと思ったんだが、なんだか悪いように思ったから」

庄平「悪い事があるもんか、へんな奴だなア、尾形君なら君もよく知ってたんじゃないか」

十吉「うん、そりゃ知ってたけど……君はあの妹さんと親しいの?」

庄平「会うのは今日はじめてだ」

十吉「……」

庄平「君はまだ一人……?」

十吉「誰が僕の所へ来てくれるもんか。君は……?」

庄平「勿論一人だ、もっとも明日見合いする事にはなってるがね」

葉子が茶を持って来て、聞いている。

十吉(何となく釈然として、生々とした声になる)「そうかい、で、誰だい相手は……?」

庄平「誰だか知らん、もっとも名前だけは判ってるが……小谷初枝……」

十吉「小谷初枝、聞いたような名だが……名前の感じは、清楚だな」

庄平(呟くように)「妻を娶らば才たけてか」

十吉(うたう)「みめうるわしく情ある……」

葉子、寂しい。

庄平、十吉(合唱する)「友を選らばば書を読みて、六分の侠気四分の熱……」

壁のベエトオヴェンのデス・マスクは歌わない。

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