泡鳴五部作 03 放浪

20話 二十

3,948字 約8分 2016年11月26日 公開

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 中島遊園の料理屋大中(だいちゆう)本店に於いて、午後一時頃から、氷峰と或女とその仲に這入つた取り持ち年増とが會見した。この件ははなし上手な氷峰自身の(くは)しい報告を義雄がまた義雄自身で解釋して見たのだが――

 女は二十二だと話してゐるが、そこの女中に料理を命じたり、酒をあつらへたりするその態度や、しツかりした口振りから推察すると、どうしても、氷峰とはさう年が違つてゐないだらう。然し、自分から呼び出しをかけたのには似合はず、男に對してどことなくうぶな羞恥を帶び、何か問はれるたびに顏を赤くする樣子を見ると、決して苦勞人(くろうと)筋のものではないらしい。むツくりした美人は美人であつた。

「お久し振りで御座いました」と、女が初めての挨拶した時、氷峰はその馴れ/\しさうにされるのを意外に思ひ、どこで會つたことがあるのか知らんと、さま/″\に心では考へて見るが、どうも心當りがなかつた。

 名は若杉貞子と云ふのを頼りに、どこかの歌の會へ出たことのある女か知らんとも考へて見た。然しそれも一向分らない。ただ、

「はア」と、曖昧な挨拶を返してしまつたので、それを今更ら問ひ(ただ)すのも(かど)が立つだらうと思ひ、もぢ/\する心を煙草でごまかした。

 女も言葉のつぎほを失つてしまつた。

 序幕から場が(しら)けてゐるので、年増がそばから、

「少しお話しなさいよ、わたしが眠くなつてしまひます、わ」と、碎けた態度でおだてた。

 それから、何の關係もない伊藤公爵のことやら、當地へ本年はえらい人々が巡遊に來ることやら、舊北辰新報のことやら、新派の歌のことやら、まさに出ようとする實業雜誌のことやら、すべて女の方から持ち出して話題にするのを、男はただそれに説明的返事をするだけであつたが――。

「手ツ取り早く要領に入ればよいに。つまらない」と、氷峰は、こんな時ばかりの伊達に、飮めない酒を女につがせてぐん/\あふつた。

「大分いけます、ね。」女は多少勢ひづいて來た。

「えい/\、島田さんは隨分飮めるのですよ」と、年増がいい加減に取りつくろつた。

「何を云やアがる、この婆々ア」と、氷峰は心でそれをあざ笑ひ、こんな種類の桂庵的(けいあんてき)がゐる爲め、北海道のをんなの風儀が亂れるのだと憤慨もしかねなかつた。

 その癖、渠は自分にも望みがあつて來たのだが、貞子といふ女も、それについて來たこの年増も、一向話を進めなかつた。

 貞子も少し酒の相手をしたが、かの女の方に話題が盡きて、けふの天氣模樣などのことに及んだ。餘り辛氣(しんき)臭いので、氷峰は醉ひの勢ひにまかせて切り出した、

「全體あなたは何物です?」

「何物とはひどいぢや御座いませんか」と、年増がさへぎつた。

「なに、それは云ひ方が惡かつた。」氷峰はわざとあたまを押へたが、「あなたは何をしてをるんです?」

「何もしてはをりませんが」と、貞子はきまりが惡いといふ樣子であつた。氷峰の方をじろりと見て(やさ)しく微笑したが、直ぐ下を向いて顏を赤くしてゐるのは、醉ひも出たので、必ずしも、恥かしみばかりではなかつたらしい。

 そして、貞子が自分のことを氷峰に話したに據ると、兄と二人で親の財産を分けて貰ひ、その自分の部分は自分の考へのままになる。そして、今、やつて見たい事業があるから、氷峰に手助けをして貰ひたいと云ふのだ。

 その事業とは、瀬戸物製造である。京都あたりで十五錢、二十錢しかしない陶器が運賃やら割れやらを見込んでだらうが、北海道に來ると、實際、五十錢から六十錢する。それを運賃入らず、割れも少く製造販賣することが出來れば、五十錢が四十錢、三十錢に賣つても、利益は充分に望まれよう。小樽附近にも陶器原料にいい土があるさうだが、貞子の方では、岩見澤の或場所に、それがあるのを發見した。

「で、あなたは」と、貞子は氷峰に向ひ、「新聞社にをられた時から、大變精力の強いお方と聽いてをりますから、一つ、自分の事業と思つて、專らお力になつて貰ひたいのです。」

「それもよからうが――第一、こないだからのこちらの要求は、どうなつたのです?」

「あれは、な、島田さん」と、年増が口を出し、「二十日まで待つて貰ひたいと云ふことです。」

「けふ渡すと云ふので、君が僕を引ツ張つて來たんぢやないか?」

「さう云ふことで御座いましたか」と、貞子は少し恥ぢた樣子で、「わたくしの方では、初めから二十日と申してをりましたんで御座います。」

「それならそれで、一杯喰つたとおもやよろしい」と、氷峰はすねた樣に笑つた。

「然し、島田さん、そんな野暮は禁物よ。」年増は變な手つきで渠を打つ眞似をして、

「さう云はなきや、あなたが早く來ないぢやありませんか――貞子さんは大變お待ちかねよ。」

「あら、叔母さん!」これは貞子が北海道流に親しい人を呼びかけた呼び名だ。これも打つ眞似をして、「きまりが惡いぢやありませんか?」

「は、は」と、氷峰は輕く笑つて、貞子に、「これで、僕があなたを打つ眞似をすりや、形式上の三すくみだ。」

「ほ、ほ、ほ」貞子も笑つて、口に手を當てた。その手は綺麗に白く、金の指輪が二つ光つてゐた。そして、また眞面目になつて氷峰に、「然し、ちよツと都合がありますので、どうか二十日まで」とあたまを下げた。

「わたしはその三すくみを拔けますから」と云つて、年増の叔母さんはそこをはづした。

     *    *    *

 再び年増が出て來た時、

「まア、いい風でもお入れなさいよ」と云ひながら、池に向つた障子をするりと兩方へ明けた。すると、その池の向う側の椎の樹かげに、裁縫通ひの娘らしいのが三名、すぼめた蝙蝠傘(かうもりがさ)を杖について、水中の魚の泳ぐのを見てゐた。

「見えるぢやありませんか」と、貞子はうつて變つたうは付き方で立ち上り、自分でその障子を締め返した。

 その時、三名の娘は同時にこちらを見た。その一人はお鈴であるのを、氷峰は認めた。かの女も亦渠を認めて、「あら」といふ樣子を見せた。お互ひに意外であつた。

 拾五圓何拾錢といふ勘定を貞子がして、三人は一緒にそこを出た。

 氷峰は、きのふも、そこへ婦人と共に來たのである。その婦人は、渠がお母さんも同樣世話になつたおほ年増であつたと云ふ。然し、今、三人をいいお客と見て、門まで送つて來たおかみや女中が、じろ/\自分の顏を見たのに、渠は氣が引けた。と云ふのは、この頃、大黒座で打つてゐる役者一座の一人が、さうたび/\、後家(ごけ)さんや娘に買はれに來るのだと思はれては、迷惑だからであつた。

「これから、また、あのお鈴がやつて來て、今の事情を執念(しふねん)深く聽きただすのであらう」と思ひながら陳列館の前をぶら/\行くと、貞子はそのあとから恥かしさうに少し離れてついて來た。

「もツとくツついてお歩きなさいよ」と、年増に押しやられて、やツとかの(ぢよ)は渠のそばへ來た。

「醉ひました、なア。」

「わたくしもこんなに醉つたことはないの。」

「もツと飮まうか?」

「いやです、わ」と、かの女は身を娘らしくそらした。そして、またてく/\ついて來た。氷峰はその樣子をさかりのついた雌馬の樣だと思つた。

「よく似合ひます、な。」後から年増が冷かした。

「たんとお燒きなさいよ」と、貞子はその割合に腹を決めてゐたらしい。

「えい/\、燒きますとも――その代り、また芝居でもおごつて貰はねば、な。」

「おごりますとも、さ――芝居だけ?」

「いいや、芝居に、あづま壽司に、西洋料理に、丸井の呉服に――」

「大變慾張り、ね――お(なか)が裂けますよ」と、貞子は段々調子づいて來た。

 然しかの女が調子づいて來た時は、遊園を出た女學校々舍の前に來て、そこから氷峰は別れてしまつた。人に見られては、下らないと思つたからだ。

 そして、家に歸る道々考へて見ても、どうも貞子なるものが、一囘會つた切りだからでもあらうが、腹に這入つて來ない。いい女ではあるが、妻とするには、まだよく分らないところがある。

「それよりもお鈴だ」と考へると、かの女の方は、まだ決定はさせてないが、度々會つてゐるだけに、よく素姓(すじやう)も心持ちも分つてゐる。顏や姿や學問から云へば全くゼロと言つてもいいが、自分のずぼらな性質に對しては、かの女が經濟向に一種の才を持つてゐるのは唯一の取り柄だ。「それに、あの熱心なのだから」と思つた。

 歸つて見ると、果してお鈴が來て待つてゐた。そして、うらめしさうな(ふく)れツつらをしてゐる。

「今のを燒いてるのか」と、氷峰は笑ひながら爐ばたに坐わつた。

「そんなんぢやない」と、お鈴は涙ぐんだ。

「なんで泣くんぢや」と聽くと、かの女は下のお婆アさんがここへ來る度に(にら)みつけることを告げた。

「はんか臭い奴ぢや、なア、そんなことでめそ/\泣くのア。」氷峰は慰める樣な、またじらす樣な樣子で、「ありや、おれに氣があつて、燒いてるのぢや。」

「まさか」と、お鈴は笑つたが、矢ツ張り泣いてゐる。

「あんたは、そんなこと云うて、矢ツ張り、今見たことが氣になるのぢや。」かう云つて、氷峰は今の女は山から來た自分の親戚のものだといふことに云ひくるめてしまつた。

 然しなほ、かの女は歸りもしないで、めそ/\泣くのが止まない。面倒臭いのでほうつて置かうとすると、聲をあげてすすり泣いた。

 氷峰はやツとその意味が分つた。若い女がただ悲しいのではなく、その生理的經過上制しがたい力のみなぎつて來たのに堪へ兼る訴へだと考へた。そして、お鈴を引き寄せて、その頬にあつく接吻してやつたさうだ。

 女にかつゑてはゐる義雄だが、氷峰のこんな話を聽いたのでは、人ごとだからでもあらう、曾て或旅館で隣室のことに目がさめた時と同樣、別に刺戟も挑發も受けなかつた。そして、若し神なる物があつて、密室に於ける夫婦の樣子を見てゐたら、矢ツ張り、こんな冷靜と寛大とを持つて見てゐるのだらうと思へた。

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