福翁自伝 02 福翁自伝

31話 福翁自伝 02 福翁自伝(31)

3,784字 約8分 2017年6月15日 公開

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鄙事多能年少春

立身自笑却壊身

浴余閑坐肌全浄

曾是綿糸縫人

と云(い)う詩のようなものを記した事がある。又藩中に居て武芸をせねば人でないように風(ふう)が悪いから、中村庄兵衛(なかむらしょうべえ)と云う居合の先生に就(つい)て少し稽古したから、その後、洋学修業に出ては、国に居るときのように荒い仕事をしないから、始終(しじゅう)居合刀を所持して、大阪の藩の倉屋敷に居るとき、又緒方の塾でも、折節(おりふし)はドタバタ遣(やっ)て居ました。夫(そ)れから江戸に来て世間に攘夷論が盛(さかん)になってから居合は罷(や)めにして、兼て腕に覚えのある米搗(こめつき)を始めて、折々遣(やっ)て居た所が、明治三年、大病を煩(わずら)うて、病後何分にも旧(もと)のようにならぬ。その年か翌年か岩倉(いわくら)大使が欧行に付き、親友の長与専斎(ながよせんさい)も随行を命ぜられ、近々(きんきん)出立とて私方に告別に参り、キニーネ一オンスのビンを懐中から出して、「君の大病全快はしたが、来年その時節に為(な)ると何か故障を生じて薬品の必要があるに違いない。是(こ)れは塩酸キニーネ最上の品で、薬店などにはない。之(これ)を遣(や)るから大事に貯えて置け。僕の留守中に思当(おもいあた)ることがあろうと云(い)うのは実に朋友の親切なれども、私は却(かえっ)て喜ばぬ。「馬鹿なことを云(いっ)て呉(く)れるな。病気全快の僕の身に薬なんぞ要(い)るものか。面白くもない。僕は貰わないと云うと、長与(ながよ)が笑(わらっ)て、「知らぬ事を云うな。屹(きっ)と役に立つことがあるから黙(だまっ)て取(とっ)て置けと云て、その薬を私に渡して別れた所が、果して然(しか)り、長与の外行留主(るす)中、毎度発熱して、夫(そ)れキニーネ又(また)キニーネとて、トウ/\一オンスの品を飲み尽したと云うような容体で、何分にも力が回復しない。

病に媚びず横浜の女医ドクトル・シモンズの説に、何でも肌に着くものはフラネルにせよと云うから、シャツも股引(ももひき)もフラネルで拵(こしら)え、足袋の裏にもフラネルを着けさせて全身を纏(まと)うて居た所が、頓(とん)と効能が見えぬ。ドウかすると風を引(ひい)て悪寒(おかん)を催して熱が昇る。毎度の事で、凡(およ)そ二年余り三年になっても同様であるから、或日(あるひ)私が大(おおい)に奮発して、是(こ)れは医師の命令に従い、余り病気を大切にして、云(い)わば病に媚るようなものだ。此方(こっち)から媚るから病は段々付揚(つけあが)る。自分の身体には自分の覚えがある。真実の病中には固(もと)より医命に服することなれども、今日は病後の摂生より外(ほか)に要はないから、自分で摂生を試(こころ)みましょう。抑(そもそ)も自分の本(もと)は田舎士族で、少年のとき如何(いか)なる生活して居たかと云(い)えば、麦飯を喰(くら)い唐茄子(とうなす)の味噌汁を啜(すす)り、衣服は手織(ており)木綿のツンツルテンを着て、フラネルなんぞ目に見たこともない。この田舎者が開国の風潮に連れ東京に住居して、当世流に摂生も可笑(おか)しい。田舎者の身体の方が驚いて仕舞(しま)う。即(すなわ)ち今日風(かぜ)を引(ひい)たり熱が出たりしてグヅ/\して居るのは摂生法の上等に過る誤(あやまち)であるから、直(ただち)に前非を改めると申して、その日からフラネルのシャツも股引(ももひき)も脱ぎ棄てゝ仕舞(しまっ)て、唯(ただ)の木綿の襦袢に取替え、ストーブも余りに焚かぬようにして、洋服は馬に乗る時計(ばか)り、騎馬の服と定(き)めて、不断(ふだん)は純粋の日本の着物を着て、寒い風が吹通(ふきとお)しても構わず家にも居れば外にも出る。唯(ただ)食物ばかりを西洋流に真似て好き品を用い、その他は一切(いっさい)むかしの田舎士族に復古して、ソレから運動には例の米搗(こめつき)薪割(まきわり)に身を入れて、少年時代の貧乏世帯(じょたい)と同じようにして毎日汗を出して働いて居る中に、次第に身体が丈夫になって、風も引かず発熱もせぬようになって来ました。私の身の丈(た)けは五尺七寸三、四分、体量は十八貫目足らず。年の頃十八、九の時から六十前後まで増減なし、十八貫を出たこともなければ十七貫に下(くだっ)たこともない。随分調子の宜(よろ)しいその身体が、病後は十五貫目にまで減じて二、三年悩んだが、この田舎流の摂生法でチャンと旧(もと)の通りに復して、その後六十五歳の今日に至り今でも十七貫五百目より少なくはない。扨(さて)私が考えるに右の田舎摂生が果して実効を奏したのか、又は病の回復期が自然に来た処で偶然にも摂生法を改めたのか、ソレは何とも判断が付かぬ。兎(と)に角(かく)に生理上必要の処に少し注意さえすれば、田舎風の生活も悪くないと云(い)うこと丈(だ)けは確かに分る。但(ただ)し肌に寒風の吹通しが有益であるか、又(また)は外の摂生を以(もっ)て体力が強くなって、実際害に為(な)るべき寒風にも能(よ)く抵抗して之(これ)に堪(たえ)うるのであるか、即(すなわ)ち寒風その物は薬に非(あら)ず、寒風をも犯して無頓着(むとんじゃく)と云うその全般の生活法が有益であるか、凡(およ)そこの種の関係は医学の研究すべき問題と思います。ソレは扨(さて)置き、私の摂生は明治三年、三十七歳大病の時から一面目を改め、書生時代の乱暴無茶苦茶、殊(こと)に十年間鯨飲(げいいん)の悪習を廃して、今日に至るまで前後凡そ四十年になりますが、この四十年の間にも初期は文事勉強の余暇を偸んで運動摂生したものが、次第に老却するに従い今は摂生を本務にしてその余暇に文を勉(つと)めることにしました。

居合、米搗今でも宵は早く寝て朝早く起き、食事前に一里半ばかり芝(しば)の三光(さんこう)から麻布古川辺の野外を少年生徒と共に散歩して、午後になれば居合を抜(ぬい)たり米を搗(つい)たり、一時間を費して晩の食事も、チャンと規則のようにして、雨が降(ふっ)ても雪が降ても年中一日も欠かしたことはない。去年の晩秋戯(たわむ)れに、

一点寒鐘声遠伝

半輪残月影猶鮮

草鞋竹策侵秋暁

歩自三光渡古川

なんて詩を作りましたが、この運動摂生が何時(いつ)まで続くことやら、自分で自分の体質の強弱、根気の有無を見て居ます。

行路変化多し回顧すれば六十何年、人生既往を想えば恍(こう)として夢の如(ごと)しとは毎度聞く所であるが、私の夢は至極(しごく)変化の多い賑(にぎや)かな夢でした。旧小藩の小士族、窮屈な小さい箱の中に詰込(つめこ)まれて、藩政の楊枝を以(もっ)て重箱の隅(すみ)をほじくるその楊枝の先(さ)きに掛(かかっ)た少年が、ヒョイと外に飛出して故郷を見捨るのみか、生来教育された漢学流の教(おしえ)をも打遣(うちやっ)て西洋学の門に入り、以前に変(かわっ)た書を読み、以前に変った人に交わり、自由自在に運動して、二度も三度も外国に往来すれば考(かんがえ)は段々広くなって、旧藩は扨(さて)置き日本が挟く見えるようになって来たのは、何と賑かな事で大きな変化ではあるまいか。或(あるい)はその間に艱難(かんなん)辛苦など述立てれば大造(たいそう)のようだが、咽元(のどもと)通れば熱さ忘れると云うその通りで、艱難辛苦も過ぎて仕舞(しまえ)えば何ともない。貧乏は苦しいに違いないが、その貧乏が過ぎ去(さっ)た後で昔の貧苦を思出(おもいだ)して何が苦しいか、却(かえっ)て面白いくらいだから、私は洋学を修めて、その後ドウやら斯(こ)うやら人に不義理をせず頭を下げぬようにして、衣食さえ出来れば大願成就と思(おもっ)て居た処に、又(また)図(はか)らずも王政維新、いよ/\日本国を開(ひらい)て本当の開国となったのは難有(ありがた)い。幕府時代に私の著わした西洋事情なんぞ、出版の時の考(かんがえ)には、天下にコンなものを読む人が有るか無いか夫(そ)れも分らず、仮令(たと)い読んだからとて之(これ)を日本の実際に試(こころ)みるなんて固(もと)より思いも寄らぬことで、一口(ひとくち)に申せば西洋の小説、夢物語の戯作(げさく)くらいに自(みず)から認(したた)めて居たものが、世間に流行して実際の役に立つのみか、新政府の勇気は西洋事情の類でない、一段も二段も先(さ)きに進んで思切(おもいきっ)た事を断行して、アベコベに著述者を驚かす程のことも折々見えるから、ソコで私も亦(また)以前の大願成就に安(やす)んじて居られない。コリャ面白い、この勢(いきおい)に乗じて更に大(おおい)に西洋文明の空気を吹込み、全国の人心を根底から転覆して、絶遠の東洋に一新文明国を開き、東に日本、西に英国と、相対(あいたい)して後(おく)れを取らぬようになられないものでもないと、茲(ここ)に第二の誓願を起して、扨(さて)身に叶う仕事は三寸の舌、一本の筆より外(ほか)に何もないから、身体の健康を頼みにして専(もっぱ)ら塾務を務め、又筆を弄(もてあそ)び、種々様々の事を書き散らしたのが西洋事情以後の著訳です。一方には大勢の学生を教育し、又演説などして所思(しょし)を伝え、又一方には著書飜訳(ほんやく)、随分(ずいぶん)忙しい事でしたが、是(こ)れも所謂(いわゆる)万分一を勉(つと)める気でしょう。所で顧(かえり)みて世の中を見れば堪(た)え難(がた)いことも多いようだが、一国全体の大勢は改進々歩の一方で、次第々々に上進して、数年の後その形に顕(あら)われたるは、日清戦争など官民一致の勝利、愉快とも難有(ありがた)いとも云(い)いようがない。命あればこそコンな事を見聞するのだ、前(さき)に死んだ同志の朋友が不幸だ、アヽ見せて遣(や)りたいと、毎度私は泣きました。実を申せば日清戦争何でもない。唯(ただ)是(こ)れ日本の外交の序開(じょびら)きでこそあれ、ソレほど喜ぶ訳(わ)けもないが、その時の情に迫(せ)まれば夢中にならずには居られない。凡(およ)そコンな訳(わ)けで、その原因は何処(いづく)に在るかと云えば、新日本の文明富強は都(すべ)て先人遺伝の功徳に由来し、吾々(われわれ)共は丁度(ちょうど)都合の宜(い)い時代に生れて祖先の賜(たまもの)を唯(ただ)貰うたようなものに違いはないが、兎(と)に角(かく)に自分の願(がん)に掛けて居たその願が、天の恵み、祖先の余徳に由(よっ)て首尾能(よ)く叶うたことなれば、私の為(た)めには第二の大願成就と云(い)わねばならぬ。

人間の慾に際限なし左(さ)れば私は自分の既往を顧みれば遺憾なきのみか愉快な事ばかりであるが、扨(さて)人間の慾(よく)には際限のないもので、不平を云(い)わすればマダ/\幾らもある。外国交際又は内国の憲法政治などに就(つい)て其(そ)れ是(こ)れと云う議論は政治家の事として差置(さしお)き、私の生涯の中に出来(でか)して見たいと思う所は、全国男女の気品を次第々々に高尚に導いて真実文明の名に愧(はず)かしくないようにする事と、仏法にても耶蘇(やそ)教にても孰(いづ)れにても宜(よろ)しい、之(これ)を引立てゝ多数の民心を和(やわ)らげるようにする事と、大(おおい)に金を役じて有形無形、高尚なる学理を研究させるようにする事と、凡(およ)そこの三ヶ条です。人は老しても無病なる限りは唯(ただ)安閑としては居られず、私も今の通りに健全なる間は身に叶う丈(だ)けの力を尽す積(つもり)です。

福翁自伝 終

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